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2008年7月13日 (日)

風天の詩学…②「話の特集」というダンディズム

風天こと渥美清さんが参加した句会に「話の特集句会」がある。
「話の特集」は、1965年から1995年まで発行された雑誌である。
創刊から休刊まで、矢崎泰久氏が一貫して編集長を務めた。

創刊の年の1965年、私は大学生だった。
既に60年安保の高揚は過去のこととなっていた。60年代末に日本列島を席巻した全共闘運動は、まだ萌芽の状態でもなかったと思う。
高度成長路線が軌道に乗り始め、時代は大きく転換しようとしていた。
風光明媚な海岸の多くが、石油コンビナートに姿を変えていった。
その文明史的な転換の行き着く先について、さまざまな議論が交わされていたと思う。しかし、怠惰な学生だったので、余り深く考えてみるということもなかった。

そんな時代の中に登場した「話の特集」は、軽やかで鮮やかだった。
もちろん、体制派ではない。かといって、反体制かというと、ちょっと違うような気がする。
体制とか、反体制というよりも、自立した個人の才能と遊びの心が、誌面から溢れ出て来るような雑誌だった。
森英介『風天―渥美清のうた』大空出版(0807)によれば、創刊号は、表紙・横尾忠則、写真・立木義浩、マンガ・長新太、執筆・寺山修司/小松左京、アートディレクター・和田誠といった顔ぶれだった。
しばらくの間、毎号購読していたはずだが、引越しなどの都度散逸して手許には一冊も残っていない。

この「話の特集」の編集長の矢崎泰久さんが主宰して始まったのが「話の特集句会」である。
驚くべきことに、雑誌が廃刊になって10年以上も経つのに、句会の方は現在でも続いているらしい。
メンバーはまさに綺羅星の如くであって、とても引用しきれないが、以下のような人たちが参加している。
矢崎泰久(華得)、和田誠(独鈷)、永六輔(六丁目)、小沢昭一(変哲)、富士眞奈美(衾去)、浅井慎平(風太)、中山千夏(線香)、山藤章二(三魔)、中村八大(大八)、土屋耕一(柚子湯)、色川武大(水眠)、岩城宏之(蕪李)、吉行和子(窓烏)、俵万智(沙羅)、黛まどか(かまど)……

風天は、この句会の有力メンバーだったのだ。
互選で点を入れて集計し、最終的に総合点で当日の番付が決まる。
風天は、総合点で何回も優勝した実力者だった。

好きだからつよくぶつけた雪合戦  (風天)

先日も、小学校以来の友人たちと同窓会を持つ機会があったが、誰しも幼い頃、掲句のような思い出を持っているのではないだろうか。

ゆうべの台風どこにいたちょうちょ  (風天)

ゆうべの台風は強い風だった。翌日は台風一過の青い空。蝶々が一匹飛んでいる。
台風の間、どこに身を潜めていたのか。無事でいてよかったなあ。

ひぐらしは坊さんの生まれかわりか  (風天)

ひぐらしが鳴き始めると、季節は既に秋である。ひぐらしの鳴き声は何となく物悲しい。ひたすらお経を読む声にも似ているか。

「話の特集」という雑誌の特徴は、一言で言えば、ダンディズムだったと思う。
WIKIPEDIAによれば、ダンディは次のように解説されている。

ダンディ(dandy)とは、身体的な見た目や洗練された弁舌、余暇の高雅な趣味に重きを置く男性のことである。

イズムを付ければ、自分の主体的な選択という要素が出てくるから、特に上記の後半部分ということになるだろう。
「話の特集」の誌面は、まさに「余暇の高雅な趣味に重き」が置かれていたように思う。
風天こと渥美清さんは、ダンディズムそのものの人だったと言えるのではなかろうか。

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