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2008年7月 6日 (日)

家持の族(ヤカラ)に諭す歌

孝謙天皇の即位後の人事において、諸兄の子の奈良麻呂が参議になった。
反藤原勢力の急先鋒だった。奈良麻呂が議政官に登用されたことにより、議政官内における橘父子と藤原兄弟(豊成-仲麻呂)の対立は先鋭化した。
藤原氏からは、北家から八束に続いて、清河が参議になった。
藤原氏は、南北両家から2人ずつ、計4人の議政官を出して、四子以来の勢威となった。

孝謙天皇は即位したものの、彼女の代で聖武の皇統は途絶えてしまうことになる。
はなはだ不安定な存在だった。
聖武太上天皇は、仏教に没入状態だったから、孝謙天皇を支えるのは、光明皇太后しかいなかった。
太上天皇が在世中に、皇太后が政治に介入するのは異例な事態である(栄原永遠男『天平の時代』集英社(9109)。
そこで、紫微中台という宮司がおかれ、光明皇太后が孝謙天皇を支えて政治に参加する仕組みが整えられた。

その紫微中台の長官に任命されたのが藤原仲麻呂であるが、彼は、太政官の内部では、橘諸兄や兄の豊成の下位にあった。
紫微中台という太政官とは別組織が出来たことによって、彼はいっきょに権力を確保することになった。
仲麻呂は、紫微中台の長官と同時に、中衛府の大将になった。
中衛府は、神亀5(728)年に、聖武と光明の子である某(基)皇太子の親衛のためにおかれた組織だった。
初代には房前が任命され、豊成がその後を継いでいたが、豊成に替って仲麻呂が就任した。
藤原氏の中での豊成と仲麻呂の地位が逆転したのであった。

孝謙天皇の即位に関しては、貴族層には不審と反感とが潜在していた。
その孝謙天皇の体制において、仲麻呂が重用されたことから、仲麻呂に対する反発が強まった。
その急進派が橘仲麻呂だった。
大仏建立と東大寺の造営という大きなプロジェクトが進行する中で、表面上は平穏な事態がしばらく続いた。
天平勝宝7(755)年11月、橘諸兄が従者によって、「反逆の心を抱いている」と密告された。
この件は、聖武天皇が握りつぶして不発に終わったが、あとで聞いた諸兄が、翌年の2月に左大臣を辞職してしまった。
結局、諸兄の失脚を狙った密告は、その目的を達成したことになる。
諸兄は、藤原四子の死(天平9(737)年)以後、18年間の長期間太政官のトップにあったが、その座を明け渡し、翌年の1月には74歳の生涯を閉じることになる。

聖武天皇は、諸兄より一足先に、天平勝宝8(756)年の5月2日に薨じた。
聖武の死は、仲麻呂派とアンチ仲麻呂派の対立を激化させることになった。
聖武の死の直後である。『続日本紀』は次のように記す。

五月十日 出雲守・従四位上の大伴宿禰古慈斐と内竪(天皇の傍に仕える少年)淡海真人三船は、朝廷を非難悪口し、臣下としての礼をしたという罪に連坐させられ、左右の衛士府に拘禁された。
五月十三日 天皇は詔して二人とも放免された。

この件によって、古慈斐は土佐守に左遷された。
大伴一族には、アンチ仲麻呂の機運が醸成されてくるが、性急に事を起こしても仲麻呂の思う壺ということになる。
家持は、一族に自重を求めた。

  族(ヤカラ)に諭す歌一首並に短歌
ひさかたの 天の戸開き 高千穂の 嶽に天降りし 皇祖の 神の御代より 梔弓を 手握り持たし 眞鹿児矢を 手挟み添へて 大久米の 丈夫武雄を 先に立て 靭取り負せ 山川を 磐根さくみて ふみとほり 國まぎしつつ ちはやぶる 神をことむけ 服従はぬ 人をも和し 掃き清め 仕へ奉りて あきづ島 大和の國の 橿原の 畝傍の宮に 宮柱 太知り立てて 天の知らしめしける 皇祖の 天の日嗣と つぎて来る 君の御代御代 隠さはぬ 赤き心を 皇方に 極め尽して 仕へ来る 祖の職t 言立てて 授け給へる 子孫の いやつぎに 見る人の 語りつぎてて 聞く人の 鑑にせむを 惜しき 清きその名ぞ 凡ろかに 心思ひて 虚言も 祖の名断つな 大伴の 氏と名に負へる 丈夫の伴  (20-4465)

城島の倭の國に明らけき名に負ふ伴の緒こころ努めよ  (20-4466)

剣刀(ツルギタチ)いよよ研ぐべし古(イニシヘ)ゆ清(サヤ)けく負ひて来にしその名ぞ  (20-4467)

  右は、淡海眞人三船の讒(ヨコ)し言すことに縁りて、出雲守大伴古慈悲宿禰任を解かえき。ここを以ちて家持この歌を作れり。

大伴氏の由緒正しい伝統を心して、自重することが重要だと一族に説いたのだった。

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