「百人一首」に猿丸大夫選出の意味
百人一首の選歌についてはさまざまな角度から論議されているが、猿丸大夫の歌は、「選ばれるべきではない歌」の筆頭とされてきた。
奥山に紅葉ふみわけなく鹿の 声きくときぞ秋はかなしき
猿丸大夫は、生没年共に不詳とされている。つまり、素性のはっきりしない歌人である。
猿丸大夫を選ぶくらいならば、山上憶良や大伴旅人・源順など、選ばれてしかるべき大歌人がまだいくらでもいる。
さらに、なぜ、「この歌」なのか?
『古今和歌集』に、よみ人知らずと明記され、作者が不明だとされている歌を選ぶ根拠はなにか?
世の中よ道こそなけれ思ひいる 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
同じく百人一首に選ばれている歌であり、かつ定家の父の俊成の歌である。類想・類歌ともいうべき作品ではないか。
父の歌と同工異曲ともいうべき猿丸の歌を、定家が選ぶ理由が分からない。猿丸の歌を選ぶとしたら、俊成は他の作品にすべきではないのか。
猿丸大夫は、三十六歌仙の1人に選ばれているが、勅撰集には、猿丸大夫の名前で選ばれている歌は一首もない。
百人一首の中で、勅撰集が、よみ人知らずとしている歌は、猿丸大夫の歌一首だけである。残りの九九首は、すべて勅撰集に実名入りで選ばれている。
そんな怪しげな猿丸大夫の歌が、柿本人磨、山部赤人の次、大伴家持の前という重要な位置に置かれているのか?
ところが、『古今和歌集』の「真名序」において、かの紀貫之が、大伴黒主を評して次のように記している。
古ノ猿丸大夫ノ次(ツギテ)ナリ
(昔の猿丸大夫の歌風を継承している)
この記述に従えば、猿丸大夫は、実在の、少なくとも紀貫之から相応の評価を得ている歌人である。
ところで、柿花仄『帋灯(しとう)猿丸と道鏡』東京経済(0309)は、『古今和歌集』に「よみ人しらず」と書いてあっても、当時編集に携わった人々は、名を伏せられた人物の本名を知っていたはずだ、とする。
周囲の社会状況が、名を出すことを許さず、上流貴族たちは、知っていながら「黙して語らず」を押し通した。つまり、公然の秘密であって、「よみ人しらず」は、苦肉の策として案出された表記なのだ、という。
つまり、「よみ人しらず」の本当の意味は、「よみ人しらすな」なのである。
定家は、その「よみ人しらすな」のタブーを破って、猿丸大夫の名前を出した。
定家は、『古今和歌集』を熟知していたから、この勅撰集の編者たちが、「奥山に……」の歌を「よみ人しらず」としていることを十分に承知していた。
にもかかわらず、藤原公任の三十六人撰に猿丸大夫とされている説を採ったわけである。
定家の父の俊成は、「歌の本体はただ古今集を仰ぎ信ずべきことなり」としているから、定家は、父・俊成の言をも無視したことになる。
百人一首が、宇都宮頼綱との私的な交流の中で選ばれたものだとしても、定家が猿丸大夫の名前を出したことは、重要な意味を持っていたということになる。
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