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2008年7月20日 (日)

『粉飾の論理』

偽装の問題は、食品表示や耐震計算の問題に限らない。
偽装の定義にもよるだろうが、勝者がとりまとめた「正史」は、勝者にとって都合が悪いことは隠蔽し、あるいは虚偽の記述によって編纂されていると考えるべきだろう。
特に、情報がクローズドな状態で独占的に管理されていたであろう古代史の分野においては、そうだと思われる。永躰典男『日本の偽装の原点は古代史にあり 』ブイツーソリューション(0705)という書があるくらいである(07年9月6日の項)。

粉飾決算も、一種の偽装の問題である。
日本長期信用銀行やカネボウのように、そこに所属することが誇りとされた名門企業が、最後は「粉飾」という名前を冠せられて市場から退場するのを余儀なくされた。
一時は新興ベンチャーの希望の星でもあるかのように位置づけられた、堀江貴文氏率いるライブドアも、「粉飾」を理由に消え去っていった。
ライブドア事件など既に遠い過去のようにも思えるが、問われている事象が起きたのは、まだ3年前のことに過ぎない。
毎日、多くの偽装情報が流布される中で、個別の案件は急速に風化していく。
長銀粉飾事件として問われた問題も、旧経営陣への無罪判決によって、アッという間に歴史の波間に消えていくであろう。

ところで、企業は、なぜ「粉飾」に走るのだろうか?
長銀事件で問われているように、「粉飾か否か」は、明確にシロとクロとが分かれているというものではない。解釈のしようでどちらとも考えられるようなボーダーが存在する。
だからこそ、長期の裁判で争われることにもなる。
長銀の場合には、「不良債権とみるべきか否かの基準」が争点となった。
不良債権とは、要するに、回収が可能な貸し出しなのか、回収が不能な貸し出しなのか、という問題である。
回収可能性は将来に属する事象なので不確定である。
まして、事業資金の場合には、貸し出しを継続すれば事業が継続できて、いずれは好転するという可能性があるが、貸し出しを引き上げれば、それで事業が継続不能になり、回収可能性がまったくなくなってしまう、というような問題がある。
不良債権か否かの判断は、貸出先の命運を左右すると同時に、貸出元の命運も左右する。
いきおい、慎重な判断にならざるを得ないという面がある。

そういう慎重な判断が、不良債権を増やしていったのだから、結果的に判断のミスがあったとせざるを得ないだろう。
そして、不良債権が巨額のものになった段階で、それをオープンにすれば、市場の信頼を失うことになる。
具体的には、株価が下落し、市場からの資金調達もままならなくなってくる。
生き延びるためには、限りなくクロに近いグレーもシロと表現せざるを得ない。
ウソといえばウソであるが、「私はウソをついたことがない」という人を、われわれは信用するであろうか?
「すべてのクレタ人はウソつきである、とクレタ人が言った。このクレタ人は、果たしてウソつきなのだろうか」というパラドックスもある。
「ウソも方便」という格言すらあり、ウソと方便のボーダーラインもいささか曖昧である。

高橋篤史『粉飾の論理』東洋経済新報社(0610)は、ライブドア問題を入り口に、カネボウやナスダック・ジャパン(後にヘラクレス)に上場したメディア・リンクスなどの粉飾決算の経緯を整理している。
「論理」というよりも、ノンフィクションの読み物というに近いだろうが、粉飾の現場について知ることができる。
「あとがき」部分に、次のような記述がある。

決算は、外部に対してその経営実態を知らせるとともに、自らがその状態を正しく把握するためのものでもある。正しい数字が把握できて初めて正しい判断が可能になる。粉飾によってうまく騙したつもりが、いつの間にか自らも偽りの数字に囚われてしまう。結局は現実と粉飾の間に生じた歪みに苦悩し続けるか、それとも悪魔の囁きに誘惑されて身を破滅させるか、あるいは分不相応な行動に走ってみたものの何かの拍子に躓くか、である。己を正しく知ることは、やはり何事においても大切なのだ。

「粉飾」は、実体の数値を作り変えることによって行なわれる。まったくの架空の数字を作り出すこととは違う。
多くの場合、損益計算書の期間損益を水増しする形で行なわれるが、貸借対照表、キャッシュフロー計算書との整合性を図るのに、さまざまな苦労があるはずである。
しかし、明らかな虚偽は別として、ボーダーライン上の判断は、戦略と裏表ともいえる。
長銀の場合でも、例えば株価が3桁を維持できるか、2桁に転落するかは生死に係わる問題だっただろう。
もっとも、だからこそ決算に関しては厳格な判断が要求されるのではあるが。

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