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2008年6月30日 (月)

安積親王と大伴家持

『続日本紀』は次のように記す。

神亀四年
閏九月二十九日 皇子が誕生した(母は光明子)。

神亀五年
八月二十一日 次のように勅した。
皇太子の病が日を重ねても癒らない。三宝(仏法僧)の威力に頼らなければ、どうして病気をのがれることができようか。
……
九月十三日 皇太子が薨じた。
九月十九日 皇太子を那富山(那保山・平城宮の北部)に葬った。年齢は二歳であった。

この皇子は、「基王(モトイノミコ)」と名づけられたという説と、「基」は「某」の誤記であるという説とがある(08年6月14日の項6月20日の項)。
這い這いもできないうちに、立太子の儀が行なわれた。藤原氏の期待の星だったが、翌年に薨去してしまう。
『続日本紀』は「年齢は二歳だった」と表現するが、満1歳になる前だった。

一方、聖武天皇の夫人の犬養連広刀自にも皇子が生まれた。安積親王である。
この皇子に関しては、『続日本紀』は誕生の記事を載せない。
ひっそりと誕生した、という雰囲気である。
しかし、藤原氏にとっては安閑としていられなかった。唯一の皇子であるから、そのままでは安積皇子が皇太子に立てられる可能性が高い。

そこで、「夫人」だった安宿媛を「皇后」にするという手段を考えた。
天皇が即位するときに「皇后」が立てられるのが普通である。「皇后」は皇族の出でなければならない、とされていた。
母の宮子も、文武の「夫人」のままだったが、首皇子(聖武天皇)を生んだからよかった。安宿媛はせっかく恵まれた皇子を亡くしてしまい、その後皇子が得られるかどうかは分からない。
非常手段として、「皇后」に昇格させ、皇子が生まれた場合には、「皇后」の子として安積親王に対する優先権を確保し、皇子が生まれなくても、中継ぎ役の可能性を保持できる。

このような動きに反対の立場だったのが、高市皇子の嫡子の長屋王だった。
高市皇子は天武天皇の長子だったが、母が皇族の出でなかったために、皇太子の候補から外されていた(08年2月2日の項2月7日の項)。
そのような系統にある長屋王にとって、藤原氏のやり方はとても容認できるものではなかった。
大伴旅人も、長屋王と同じような考えであったとされる。
大伴家は武門の家柄であり、隼人の動きなどを牽制するということで、九州の大宰府の長官に任命され赴任する。

旅人が都を去ると、事は素早く実行され、素早く収束が図られた。
「長屋王の変」である(6月17日の項)。
2月に事件が起き、3月には藤原氏の総領の武智麻呂が大納言になり、8月には瑞祥が現れたという理由で改元される。
絢爛たるイメージの「天平」時代の開幕である。
改元の直後に、安宿媛は立后する。光明皇后は藤原氏出生の最初の皇后である。
藤原氏の専横ともいうべき状況の中で、安積親王に対する期待が次第に高まっていったのではないか(犬養悦子『古代史幻想―万葉集の謎に迫る』文芸社(0202))。

  安積親王、左少辨藤原八束朝臣の家に宴せし日、内舎人大伴宿禰家持の作れる歌一首
ひさかたの雨はふりしけ思ふ子が宿に今夜(コヨヒ)は明して行かむ  (6-1040)
((ひさかたの)雨よ降れ降れどんどん降ればよい。そしたら、私の大切に思っているあの子(あのお方が)帰れなくなってここに今夜はお泊りになるだろうから)

安積親王が、藤原八束や家持らに歓待されていたことが窺える。

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コメント

私は福島県郡山市に住む者ですが、当地は古来から「安積(あさか)」と呼ばれていた地です。昨年5月甲賀市紫香楽宮跡から発見されました「安積香山影さえ見ゆる山の井の浅き心をわが思わなくに」の木簡には、葛城王(橘諸兄)と当地采女による「歌の母」こそ、万葉集原点の地の誇りを呼び覚まして戴きました。なぜ当時に橘氏と縁深い皇子に「安積」の名が冠されたのでありましょうか。歴史は悲しい展開を見せますが「万葉集」にはその経緯が記されています。今般、当地から書籍「安積」(歴史春秋社)を発刊致しました。安積親王が今、再び甦った思いに心震わせております。

投稿: 七海晧奘 | 2009年10月26日 (月) 10時30分

七海様

コメント有難うございます。
安積山の歌は、かなり広く流布していたようですが、土地カンがないうえ、想像力も豊かとはいえないので、イメージが的確に浮かびません。
大分昔のことになりますが、猪苗代湖、磐梯高原などを訪ねたことがあります。
「安積」は、是非拝読させていただき、背景知識を増やすことができれば、と思います。

投稿: 管理人 | 2009年10月28日 (水) 17時00分

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