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2008年6月 1日 (日)

「君が代」とは?

「君が代」は、平成11(1999)年)8月13日に公布・即日施行された「国旗及び国歌に関する法律」によって、法的に日本の国歌として定められた。しかし、実体的には、明治時代から、国歌として扱われてきたものである。
「国旗及び国歌に関する法律」は、下記のように、きわめてシンプルというか味気ないものである。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO127.html

国旗及び国歌に関する法律
(平成十一年八月十三日法律第百二十七号)

(国旗)
第一条
 国旗は、日章旗とする。
 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。

(国歌)
第二条  国歌は、君が代とする。
 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。

この別記第二には、以下のように歌詞が示されている。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで

この歌詞の表記については、平沼赳夫元経済産業相を会長とする超党派議連「国語を考える国会議員懇談会=国語議連」の設立総会において、平沼氏が、「いわお」を「いはほ」と正したい、としたと、5月29日の各紙で報じられている。
私も、国語の問題は日本のアイデンティティを考える上で重要な問題と考える者の一人であり、大いに議論して頂きたいと思う。
もっとも、この議連に関しては、「ほのかに政局のにほひ」がするとの声もあるようで、それはそれで気になるところではあるが。

この「君が代」の歌詞は、一般的には、『古今和歌集』の詠み人知らず巻七の巻頭歌に基づくものとされている。しかし、『古今和歌集』では、初句は「わが君は」となっていて、現在の国歌と完全に一致する形ではない、ということである。
私はごく単純に「君が代」の「君」は、「おおきみ=天皇」のことだと理解していたが、どうも必ずしもそういうことではないらしい。
WIKIPEDIA(06年10月18日最終更新)によれば、「君が代」もしくは「わが君」の「君」については、以下の3つの解釈があるという。

①「わたしの恋しいあなたは……」と恋人の長生を祈る歌
②「こちらのだんなさまは……」と祝言を専門とする芸能者が門付けによってその家の主の繁栄と長生を祈る歌、またはそうした態度をまねてある人がある人の長寿を祝う歌
③「わが大君は……」と天子の千秋万歳を祈る歌

そして、WIKIPEDEAでは、次のように説明されている。
「わが君は」として考えた場合、
a 詠み人知らずの民謡的な歌であること
b 4首続けて詠み人知らずの後に、仁明天皇が僧正遍昭の長寿を祈る歌が掲げられていること
などから、②の解釈が最も穏当であろう。
そして、民謡的な歌であることを考えれば、テキストに異文があることは奇異ではなく、「わが君は」と「君が代は」の両様が行なわれていたのであろう。
ただし、上記は『古今和歌集』採録時においては、ということであって、それ以前もしくは原初的に、どのように解釈されていたかについては、まったく見当がつかない。
「君が代は」とした場合にも上記の①~③はあり得るが、「君が代」は祝・賀の歌によく用いられることから、①の線は薄くなる。
「君が代」の表現は、『和漢朗詠集』に見られるが、その配列からは、明確に③の解釈を与えられている。

テキストということでいえば、次のような異文もあるらしい。

イ 「千代に八千代に」(冷泉家系統)
ロ 「千代にや 千代に」(二条家系統)
これについては、「国旗・国歌法」の別記に示されているように、「イ」とするものが大勢ということであろう。

江戸時代になると、一般的な祝いの席で庶民の間で歌われるようになり、例えば婚儀の席で歌われるときは、「君」は新郎のことを指す、というように変わってきたらしい。
そして、明治時代になって、1869(明治2)年に、薩摩藩の大山厳(後の日本陸軍元帥)が、大山の愛唱歌だった薩摩琵琶歌からとって、国歌的な位置づけにしたということである。

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