某王立太子とその死
安宿媛(光明子)が出産した聖武天皇の皇子は、室町時代の『本朝皇胤紹運録』には「基王(モトイオウ)」とあるが、『続日本紀』にはこの名前は載っていない。
「基」は「某」の誤りであろうとされている(栄原永遠男『天平の時代』集英社(9109))。
この某王は、生まれて直ぐといっていい時期に立太子した(08年6月14日の項)。
乳児の皇太子である。
この異例の立太子には、栄原上掲書によれば、二重の意味があった。
第一は、草壁嫡系の皇位継承という意味である。
これは、長屋王に対する牽制である。
長屋王は、太政官のトップの座にあったが、系譜的には、高市皇子の子どもであるから、草壁皇子の子どもの文武天皇(聖武天皇の父)に匹敵するとみることもできる。
長屋王には、皇位継承の可能性があったと考えられるが、草壁嫡系に対しては傍系である。
某王の立太子は、傍系の長屋王の皇位継承を認めない、という意志の表れとみることができる。
それは聖武天皇の意志であり、元正太上天皇の意志であり、藤原氏の意志であった(栄原:上掲書)。
某王立太子のもう1つの意味は、藤原氏の血である。
聖武天皇は、藤原氏の血統を引くという意味で、藤原氏にとって待望久しい天皇であった。
聖武天皇が、生母宮子に「大夫人」の称号をおくる勅を出し、それに長屋王が難色を示したことは既に述べた(08年6月13日の項)。
長屋王の言い分は、勅が令と矛盾するというものであった。
勅と令のどちらを優先すべきか?
結果的には勅が撤回されたのであるから、令が優先すると判断されたことになる。
しかし、即位したばかりの聖武天皇は、出鼻を挫かれたということになるだろう。
長屋王の妻の吉備内親王は、草壁皇子と元明(阿閉皇女)の子で、文武・元正と同父母の姉妹だったとされる(直木孝次郎『万葉集と古代史 』吉川弘文館(0006))。
長屋王は元明女帝の娘婿ということになるから、彼女に引き立てられたという面もあったであろう。
元明太上天皇の死は、長屋王にとって二重の意味で影響を及ぼしたと考えられる(栄原:上掲書)。
第一は、義理の母という庇護者の喪失である。
それは、長屋王の基盤を弱めたであろう。
第二は、元明女帝に託された首皇太子(聖武天皇)の擁護者という立場からの解放である。
そういう状況の中で、宮子の尊号をめぐるトラブルが起きたのであって、首皇太子や藤原氏が、長屋王に対する警戒感をさらに強めていったのであろう。
聖武天皇には、安宿媛のほかに、県犬養広刀自という夫人がいた。
聖武の皇太子時代に夫人となり、井上内親王、不破内親王、安積親王の三子をもうけた。
某王立太子の時点で、広刀自が妊娠していたとしたら、皇子出産の可能性がある。
複数の皇子が皇位継承争いをする可能性も十分に考えられることである。
聖武天皇は、はやく皇位継承者を決定して、このような争いを未然に防ごうとした意志があったのではなかろうか。
そして、聖武天皇は、自分と同じ藤原氏の血を引く某王を皇位継承者に選んだ。
某王を皇太子とすることによって、聖武天皇と藤原氏は一安心したであろう。
しかし、乳児の立太子という強引な手法が貴族層の反発を招いたであろう。
神亀5(728)年5月ごろ、反藤原氏と目されていた中納言大伴旅人が、大宰帥として大宰府に赴任させらている。
また、8月には、授刀舎人寮を改組して、より強力な中衛府を設け、初代長官に藤原房前が起用された。
そうこうする中で、9月に某王が亡くなってしまった。
この時点で、皇位継承の可能性を持つのは、長屋王と安積親王ということになる。
安積親王は、聖武天皇の唯一人の皇子であるから、最有力の候補者である。
しかし聖武天皇は、藤原系の天皇をめざし、安積親王の皇位継承を認めようとしなかった。
とすると、長屋王の皇位継承の可能性がさらに高まることになる。
それを封じるために、光明子の立后という手段が考えられた。
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