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2008年6月22日 (日)

通り魔をヒーロー視する人たち

「週刊新潮080626号」に『ネットで「神」と崇められる「アキバ通り魔」』という記事が載っている。
6月8日(日)に起きた「秋葉原通り魔事件」については、不可解な要素が多いと書いた(08年6月11の項)が、ネット上ではすさまじい議論(?)が行なわれているということだ。

かの「2チャンネル」については、私も知っている。
まあ、かくも多様な、と思わせられるタイトルのスレッドの林立する大掲示板である。森羅万象自分の関心のあることは殆んどスレッドが立てられているのではないか、という感じである。
余りに豊富なスレッド過ぎて、煩わしい感じがして、最近は覗いてみることもなかった。
「週刊新潮」の記事を見て、久しぶりに「2チャンネル」にアクセスして「加藤智大」で検索してみた。
確かにおびただしい数のスレッドだ。

そして、「週刊新潮」の指摘するように、「加藤礼賛」の字句が多いのも事実だ。
代表例を1つだけ引用しておこう。

秋葉原通り魔・加藤智大は神!批判する奴は死ね!5

1 :ななし:2008/06/20(金) 16:15:21 ID:Yf7rHKcM0
加藤智大が神であるわけ・・・・理解しにくい人のために。

「超越性」・・行動が、一般人を超越・逸脱しているから。一般人は思っていても実行しない。 良くも悪くも人間の仕業ではない。それができるのは神に違いない。

「啓示力」・・社会問題を広く世間に啓示(=神が人に教え示す)した。当事者に自分自身が抱いている社会に対する不満や怒り、絶望への気付きを与えた。さらに、自分たちにも反撃力があること、我慢や泣き寝入り以外の道があることを気づかせた。


「象徴性」・・今回の事件で様々なことについて加藤智大を象徴(シンボル)として議論がなされている。
加藤智大という象徴を媒介として、人と人あるいは自分自身の内部で対話が生まれてい
る。 すでに人間・加藤智大の実像からかなり離れて象徴が語られていると思われる。

「救済性」・・社会的に不利益な扱いを受け尊厳を踏みにじられた人たちの声なき声、思いを行動で代弁した。 ざまー見ろといった一部の人たちが持つ、社会に対する報復欲求や攻撃欲求が充足された。情緒的な面での救済性の強さが、加藤智大が崇拝されている大きな理由でしょう。 一方で、事件の被害者など救われない人たちが新たに生じたのも事実である。
加藤智大は、神業ともいえる超越的行動で、 一部の虐げられた人びとを情緒面で救済するとともに気付きと勇気を与え、自らが非難や賞賛の対象すなわち象徴となることにより対話を促進し、結果的に社会に対して問題提起を行い、社会改善の機会を与えた。

よって、加藤智大は、神 である。
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/haken/1213946121/801-900

この投稿者も、ネット上の匿名性を利用して、彼の本心(?)を吐露してみせたのだろう。
しかし、リアルの社会では、この投稿者も同じ内容を発言できるとは思えない。
投稿者が、加藤擁護発言をしたとしても、加藤と同じことを実際に行なう可能性はほとんどゼロと考えるべきだろう。
私は、匿名だから発言できることもある、という立場だから、匿名で発言することを卑怯だというような議論には与しない。だから、「2チャンネル」のようなメディアがあること自体は、悪いことではないと考える。
そして、「2チャンネル」の議論が、大きな社会的影響をもたらすとも考えられないから、放置しておけばいいことかも知れない。

しかし、「2チャンネル」での論議も含め、秋葉原の事件については、考えさせられることが多い。
私たちの世代にとっては、秋葉原といえば電気街である。私たちの世代の比較的経済的に豊かな家庭に育った人には、自作ラジオの組み立てやアマチュア無線などに取り組んだラジオ少年が少なくない。
彼らにとって、秋葉原は部品調達のメッカだった。
私も、遅ればせながらというべきだろうが、就職した年の賞与のすべてを持って秋葉原に行った。学生時代から貧弱な再生装置で聴いていたクラシック音楽を、もう少しマシな装置で聴くべくオーディオのセットを揃えるためだった。
この時買った録音機は、未だオープンリールのテープレコーダーだった。

しかし、その後、田舎の町にも家電量販店が進出するなどの事情もあって、東京に出たついでに格安の中古PCを探しに行くくらいで、秋葉原を訪問する機会は殆んど無かった。
首都圏新都市鉄道株式会社の運営する「つくばエクスプレス:TX」が05年8月に運行を開始し、秋葉原は都心と筑波研究学園都市を結ぶ同路線のターミナル駅となった。
この沿線の開発が現在急ピッチで進められているが、私もこの2年余りの間、同線の利用者の1人だった。
東京大学といえば、多くの人が、本郷か駒場という地名を連想するだろう。
しかし、東京大学は千葉県柏市に第3の極を形成している。
学部学生を持たない純粋の研究拠点である。その東大柏を訪問するために、「柏の葉キャンパス駅」までTXを利用した。

そんなこともあって、秋葉原駅を利用することが少なからずあった。秋葉原という街の変容も自分なりに感じるものがあった。
秋葉原が、ラジオ少年の聖地から、いわゆるオタクたちの聖地に変わったということも、知識としては知っていた。メイド姿の若い娘たちを見かけることもあった。
通り魔・加藤が、秋葉原を選んだのも、そういうことが関係していたのだろう。

「2チャンネル」での盛り上がりは、加藤のような事件(犯罪)を実行はとてもできないが、心情的には同調する人間が少なからず居る、ということを示している。
確かに、「勝ち組」「負け組」という言葉が普通に使われているし、通り魔・加藤は、自分で考えるほどの「負け組」かという気もするが、「勝ち組」には分類されないだろう。
そういう状況の中で、私などの年齢になると、「人生は勝ち負けではないよ」などと呟いて見たい気がするが、それすらも「負け組」の独り言のように受け止められるのがオチだろう。
通り魔事件の一方で、年間の自殺者が10年連続で3万人を超えている、と報じられている。
何か根源的な部分で、価値観の転換が必要なような気がするのだが。

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コメント

加藤さんを批判する人って、殴られたりお金を取られたりレイプされても警察に届けないのだろうか?

普通、やられたらやり返しますよ
加藤さんも、やり返しただけです 復讐はいいことなのです

投稿: | 2008年8月31日 (日) 22時31分

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