『万葉集』とは?…②日本という国の青春期
『万葉集』は、全20巻から成り、巻1~巻16(第1部)と巻17~巻20(第2部)に大別される(櫻井満監修『万葉集を知る事典』東京堂出版(四版:0407))。
第1部は、おおむね時代順に配列され、「雑歌」「相聞」「挽歌」等の部立てによって分類されているのに対し、第2部は、大伴家持個人の歌日誌の色彩が濃い。また、第1部は、「柿本朝臣人麻呂歌集」などの個人の歌集や、山上憶良の『類聚歌林』『古事記』『日本書紀』などの諸本による注記や校合がみられるが、第2部にはまったくみられないなど、第1部と第2部は、構成、編纂の上で明瞭な差異がある。
こうしたことから、『万葉集』は、数次の編纂を経て現在のような形に整えられたと推測される。
『万葉集』の時代区分は、一般に次のように考えられている。
Ⅰ.伝承期
仁徳朝~推古朝
『古事記』下巻に重なる時代。歌の内容・形式とも記紀歌謡を脱していない。
磐姫皇后(仁徳天皇の后)、雄略天皇、聖徳太子などが作者とされているが、実作者ではなく伝承歌と考えられている。
Ⅱ.第1期(開花期)
舒明朝(629~641年)から壬申の乱(672年)までの期間。
天智天皇の近江朝廷は、唐風文化を摂取して漢詩文が開花した。しだいに個の自覚による文学意識が芽生え、躍動的な調べ、みずみずしい抒情の世界がきざし始めた時期。
Ⅲ.第2期(最盛期1)
壬申の乱の平定後(672年)から平城京遷都の和銅3(710)年までの期間。
皇室関係も多いが、柿本人麻呂が代表歌人。
柿本人麻呂の登場によって、長歌の長大化と形式の整備が完成した。
Ⅳ.第3期(最盛期2)
平城京遷都から天平9(737)年までの期間。
『古事記』『日本書紀』がなり、『風土記』撰進の詔が発せられ、律令の撰定が行なわれた。
笠金村、山部赤人、大伴旅人、山上憶良、高橋虫麻呂らが代表的で、個の自覚がいっそう進んだ。
Ⅴ.第4期(爛熟期)
天平10(738)年から天平宝字3(759)年までの期間。
天平8、9年には悪疫の流行で、藤原房前、麻呂、武智麻呂、宇合の四兄弟が次々と病死し、橘諸兄政権が成立した。
天平12(740)年に藤原広嗣が反乱を起こし、聖武天皇は奈良の都を去って、流離すること5年。
天平15(743)年には、墾田永世私有令が発布され、律令体制が綻びをみせはじめる。
大伴坂上郎女、湯原王、聖武天皇、大伴家持らが代表的歌人で、繊細・艶麗な世界が表現されてくる。
『万葉集』最後の歌は、大伴家持の次の歌である。
三年春正月一日、因幡国庁にして、饗を国郡の司等に賜ふ宴の歌一首
新しき年の始の初春の今日降る雪の いや重(シ)け 吉事(ヨゴト) (20-4516)
藤井游惟氏が、『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い―「日本」を生んだ白村江敗戦その言語学的証拠』東京図書出版会(0710)において、日本史上における「文書」作成量が、663年の白村江の敗戦以後急速に増大する、と指摘している(08年4月17日の項)が、それは上記のⅢ、Ⅳの時期に相当し、まさに『万葉集』の最盛期に一致する。
『万葉集』が古代韓国語で読める、という説がある。朴炳植『日本語の悲劇』学研M文庫(0203)などが代表的であるが、『万葉集』を表記したのが百済等からの渡来人が中心だったとすれば、あながち奇想天外な説ではないのかも知れない。
また、紫香楽宮跡で出土した木簡が捨てられたのは、744~745年と推測されている(08年5月26日の項)。
つまり上記Ⅴ(爛熟期)の真っ盛りであって、その頃には、後に『万葉集』に収められることになる「安積山の歌」が、既に広く知られていたことが裏付けられたわけである。
『万葉集』に収められた歌が詠まれた時代は、まさに日本という国のアイデンティティが確立していく時期であった。
河上徹太郎の「青春は感受性の形式を確定する時期」という言葉(08年5月27日の項)を援用すれば、『万葉集』の書かれた時代は、日本人の「感受性の形式が確定する」青春期に相当する時代だった、ということになるだろうか。
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