藤原不比等と平城遷都
『日本書紀』によれば、天智8(669)年、病気で衰弱した中臣鎌足の家を、天智天皇が見舞う。
冬十月十日、天皇は藤原内大臣(鎌足)の家にお越しになり、親しく病を見舞われた。しかし衰弱が甚だしかった。それで詔して、「天道が仁者を助けるということに偽りがあろうか。積善の家に余慶があるというのに、そのしるしがない筈はない。もし望むことがあるなら何でも言うがよい」といわれた。鎌足は、「私のような愚か者に、何を申し上げるこtがありましょうか。ただ一つ私の葬儀は簡素にして頂きたい。生きては軍国のためにお役に立てず(百済救援の失敗をさすか)、死にあたってどうして御厄介をかけることができましょうか」云々とお答えした。
時の賢者はほめて、「この一言は昔の哲人の名言にも比すべきものだ。大樹将軍(後漢の馮異(フウイ))が、賞を辞退したという話と、とても同じには語れない」といった。
十五日、天皇は東宮太皇弟(大海人皇子)を藤原内大臣(鎌足)の家に遣わし、大織の冠と大臣の位を授けられた。姓を賜って藤原氏とされた。これ以後、通称藤原内大臣といった。十六日藤原内大臣(鎌足)は死んだ。
これが藤原氏の始まりということになる。
鎌足の死後、天武朝では一時勢力を失っていたが、鎌足の子の不比等が藤原の姓を継ぎ、持統女帝の皇権強化に協力して右大臣になった。
不比等については、正史での記述は限られているため、その果たした役割についてはさまざまに推測されている(07年9月1日の項、9月7日の項、9月15日の項、08年5月18日の項等)。
不比等の功績は、大宝律令撰定の中心となったことと、養老律令の撰定にある(中川収『奈良朝政争史』教育社(7903))。つまり、律令体制確立の中心人物だったということだ。
不比等のもう1つの側面が、自分の子女を皇室に入れて、宮廷に外戚の地位を確保したことである(系図は、中川:上掲書)。
娘の宮子が文武天皇の夫人となってのちの聖武天皇を生み、宮子の妹の安宿媛(アスカベノヒメ:光明子)が聖武天皇のもとに入り、後に立后して孝謙天皇の生母となった。
安宿媛は不比等と県犬養橘三千代の間の子である。
三千代は、美努王(栗隈王の子で、壬申の乱の勃発時に、父と共に大友皇子の軍兵徴集の要求を拒否している)の正室として、葛城王(橘諸兄)、佐為王(橘佐為)、牟漏女王の母であったが、美努王のもとを去って不比等の後妻になっている。
この間の事情についてはよく分からないことが多いが、林青梧氏の説を紹介したことがある(08年5月20日の項)。
三千代は、軽皇子(文武天皇)の養育にもたずさわり、後宮で大きな力を持ったと考えられている。
奈良時代の政争史の1つの側面が、藤原氏と橘氏との争いであることを考えれば、三千代の立場は複雑である。
文武天皇の死後、生母の元明(草壁皇太子の妃)が即位した。
嫡子の首皇子はまだ7歳だったから、文武が成人するまで持統が即位したことに倣ったとされる。
首皇子はまだ立太子していなかった。首皇子が皇后の所生でなく、舎人、長、穂積、新田部らの天武直系の皇子たちに対する遠慮があったからではないか、ともいわれる。
文武は、母の元明に後事を託すと共に、不比等にも協力を要請したと想定される。
不比等は廟堂において、左大臣の石上麻呂に次ぐ位置であったが、石上麻呂はすでにに70歳であったから、20歳若い不比等が実権を握っていた。
武蔵国から銅が産出されたことを瑞祥として、和銅と改元された(708年)。そして平城京への遷都が決定され、和銅3(710)年に平城に遷都し、奈良時代が幕を開ける。
平城の宮城の東側に不比等の邸宅があり、宮城の東側を張り出して隣接させ、その部分に東宮院を設けて、首皇子の擁護を目論んだ。
石上麻呂が、平城遷都の際、藤原京留守司に任ぜられているのと対照的である。
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