任那史観
森本剛史さんというフリーライターの人が、[逆転の日本史]編集部編『日本誕生の謎を解く』洋泉社(9812)収載の『幻の国家・金官伽耶の正体/任那日本府ななかった!』という解説で、金官伽耶と倭との係わりを論じている。
森本氏は、中学・高校時代に、「大和朝廷が、4世紀中ごろまでに国内統一を終え、4世紀後半になると朝鮮半島南部に進出して『任那日本府』を置いた」というように教わった、と書いているが、私のおぼろげな記憶も同じようなものである。
しかし、森本氏の娘さんの高校教科書では、「4世紀後半に高句麗が南下策を進めると、朝鮮半島南部の鉄資源を確保するためにはやくから伽耶と密接な関係を持っていた倭国(大和政権)も高句麗と争うようになった」と記述され、欄外の注で、「なお、『日本書紀』では伽耶諸国のことを『任那』と呼んでいる」とある、という。
倭と高句麗との争いは、広開土王碑文からしても、歴史的な事実であると位置づけられているが、「任那」という呼称自体が、グローバル・スタンダードとして認められていない、ということであろう。
「任那日本府」が実在したという考えは、『日本書紀』の記述に由来する部分が大きい。
森本氏によれば、『日本書紀』には100ヵ所にも及ぶ任那記事があるという。
「任那日本府」への関心は、日本が朝鮮半島の植民地化政策を推し進めた明治以降に高まった。朝鮮総督府を設置したり、韓国を併合したり、というような韓国支配の根拠としようということである。
古代に、倭が朝鮮半島を支配していたことを立証しようとして、伽耶地方の発掘を精力的に行なったが、結果として、「任那日本府」を裏付ける成果は得られなかった。
つまり、日本の朝鮮半島進出を正当化しようとした任那史観は、蜃気楼のようなものであった可能性が高い。
中国吉林省に立っている広開土王碑の碑文には、高句麗が倭と戦って撃退した、というような内容のことが書かれている。
この文章の解釈を巡って論争がある。
例えば、かつて「倭が、辛卯の年に来て、海を渡って百済・新羅を破って臣民とした」と解釈されていた文章が、読み方によっては、「倭が、辛卯の年に来たので、高句麗が海を渡って百済・新羅を破って臣民とした」というようにも解釈できる。
奈良県石上神社に保存されている七支刀の銘文の解釈にも同様の問題がある。
かつては、百済の王から倭の王に献上されたものと解釈され、つまり、倭は百済から献上品をもらうほどの力があった、と理解されていた。
しかし、読み方によっては、倭が諸侯として扱われていると解釈することもでき、そうすると、百済が上位で倭が下位ということになる。
つまり、「任那日本府」の存在を裏付けるとされていた金石文は、「任那日本府」が存在したことを前提とした読み方だった、ということになる。
証明すべき結論が前提になっているのでは、論理が逆転していることになる。
金官伽耶は、朝鮮半島南部に群雄割拠していた小国の中で、最大の勢力をもっていた。
金官伽耶が興った地は、主浦村というところとされ、この「主浦」が古代朝鮮語で、イムナと発音され、それが任那と表記され、ミマナと訛ったといわれる。
現在の慶尚南道の金海市付近とされ、倭と魏、帯方郡などを結ぶ交通の要衝だった。
豊富な鉄資源を持ち、大量の鉄製品を生産していて、鉄の武器を持つ強力な軍隊に支えられていた。
6世紀に新羅に滅ぼされてしまうが、それは弱小国家だったからと考えられてきたが、武力国家だったから滅ぼされたのではないか、とも考えられると森本氏は指摘している。
何やら、憲法第9条を巡る論議のようでもある。
大成洞古墳からは、大量の鉄鋋(鉄のインゴット)が出土している。
鉄鋋から、武器や農具が製造されるが、九州で発掘された鉄鋋と伽耶のものが同一であるという分析結果が出ている。
注目されるのは、高熱の登り窯で焼いた土器が出土していることで、倭国の須恵器の元になったものとされる。
伽耶との交易は、日本列島内の主導権を握るための有力な条件だった、ということになるだろう。
伽耶が滅びた後、支配者集団や技術者が、日本に移り住んだ可能性もあるとされる。
とすれば、白村江帰化人と同様に、日本の技術や文化に大きな影響を及ぼしたと考えられる。
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