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2008年5月30日 (金)

「君が代」をめぐって

とぼけた作風で多くのファンを持つ寒川猫持さんに、次の作品がある(『猫とみれんと―猫持秀歌集 』文春文庫(0308))。

「学校で君が代習ったことないの」それって自慢することなのか

この歌に示されているように、私なども含めて、東亜・太平洋戦争後の世代は、概して「君が代」には冷淡である。その意味するところが余りピンと来ない、というのが素直な感想だろう。
サッカーの元日本代表の花形選手だった中田英寿氏が現役時代に、「君が代」について、「ダサイ。戦意が喪失する」などと発言して、右翼の強烈な怒りをかったことがある。しかし、中田氏の言葉に心の中で同感した人も多かったのではなかろうか。

国旗・国歌が法制化されたのは、1999年の小渕内閣時代のことであった。
別に法律で明文として規定しなくても、慣習が確立されていればいいではないか、という考え方もあり、私もそう思う。しかし、「日の丸」を掲揚したり、「君が代」を演奏することに対し、「法的根拠がないから」という反対意見もあったらしいから、法的に定めておくことにも必要だったということだろう。
まあ、憲法19条の「思想及び良心の自由」を持ち出すまでもなく、「日の丸」の掲揚や「君が代」の斉唱は、強制されてするものだろうか、とも思うが。
特に、「日の丸」は、他国の国旗に比べ、デザイン的にもシンプルで優れたものだと感じるが、「君が代」については、言葉であるから意味の示す内容が問題になってくる。

「君が代」の「君」とは何か?
もちろん、○○クンという「君」ではないし、Youの「君」でもない。
私は、「『君』は天皇を、『君が代』はその御代を指す」というのが素直な解釈だと思う。
これに対し、政府見解は以下の通りである。

「君」は日本国及び日本国民統合の象徴で主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指す。「君が代」は象徴天皇のいる日本のことを指す。

この説明は、日本国憲法の冒頭の次の規定を踏まえたものだろう。

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

しかし、「『君が代』は象徴天皇のいる日本のことを指す」というのは、いかにも苦しい説明だろう。右翼にも左翼にも気を使うと、訳の分からない説明になってしまう。
「象徴」とは、一般には、あるものを、その物とは別のものを代わりに表象することによって、あるものを間接的に表現し、知らしめるという方法である(08年4月26日の項)。
「象徴」をこのような一般的な意味で理解した場合、日本国憲法の規定-ある人間が国家の「象徴」で、その地位は世襲されなければならない-という論理は、正直に言って私には理解できない。

しかし、国旗や国歌が「象徴」だというのならば、理解できる。オリンピックなどの国家を単位とするイベント等において、日本のアイデンティティを示すための「象徴」として機能していると思う。
また、私は、そのような場合に、国旗が掲揚されたり、国歌が演奏されたりすることに違和感があるわけではない。というよりも、国旗の掲揚や国歌の演奏を積極的に応援したいという気持ちも持っている。

評論家で麗澤大学教授の松本健一氏は、日本の国歌を「君が代」から「海ゆかば」に変えたらどうかと提言したことがある(産経新聞正論欄:990914)

海行かば 水浸く屍 山行かば 草生す屍 大君の 邊にこそ死なめ 顧みは せじと言立て

大伴家持の歌から作られた「海ゆかば」については、人によって受け止め方に大きな差異があるだろう。
戦争中の暗い、悲劇的な思い出に直結して拒否反応を起こす人もいるだろう。
しかし、松本氏は、「あの戦争における死者の悲しい記憶につながっている。日本人の心に血をふきださせる歌、といってもいい。」「民族の戦争を忘れないために、いや戦争における死者を忘れないために、日本は『海ゆかば』を国歌としたらいい。」と説いていた。
一理ある主張だとは思うが、実際の情勢としては、「君が代」を変えるということは、あり得ないことだろうとも思う。

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