伽耶・倭国連動論
室伏志畔『万葉集の向こう側―もうひとつの伽耶』五月書房(0207)は、水野祐氏の「三王朝交替説」を下敷きにしつつ、王朝交替が、日本列島と朝鮮半島で連動していた、とする。
室伏氏は、水野説を左表のように要約する。
そして、井上秀雄氏の朝鮮三国の王朝系図の研究から、新羅史の王朝交替史を引用する。それは、朴氏-昔氏-金氏の三姓の交替であるとするものである。
さらに室伏氏は、朴炳植『日本原記―天皇家の秘密と新解『日本書紀』』情報センター出版局(8706)から、新羅史の内に伽耶史をみる視点を紹介し、そう捉えれば、伽耶史も朴-昔-金の三姓の変遷史として捉えられる、とする。
朴炳植氏は、日本語のルーツを、韓国の慶尚南道の方言であると論じた人であるが、その慶尚南道というのは、「任那日本府」が置かれていたといわれる伽耶(伽(加)羅)の地である。
その伽耶の歴史は良く分からないとされているが、室伏氏は、水野「三王朝交替説」と朴「三姓交替史論」を重ね合わせて、伽耶史を「幻視」してみる。
朴炳植氏は、新羅王朝史の2つの大きな節目について、朴-昔の交代時期を180年前後、昔-金の交替時期を360年前後に想定している。
この新羅史の節目と同時期に、日本列島では何が起きていたか?
『魏志倭人伝』の伝える倭国大乱は、霊帝光和年中(178~183)年とされており、新羅史の第一の節目と重なる。また、崇神王朝の最後の王・仲哀天皇が謎の死を遂げたのが362年で、新羅史の第二の節目に近接している。
つまり、朴炳植氏は、伽耶王朝の継ぎ目を邪馬台国の成立と仲哀天皇の死と対応させた。これに対し、室伏氏は、水野「三王朝交替説」に連動させる。
というのは、邪馬台国(卑弥呼)と仲哀天皇を、同じ範疇の王朝にくくれるとは思えず、大和朝廷との連動で考える方が適切だろう、というのが室伏氏の見解である。
室伏氏は、新羅(伽耶)王朝の継ぎ目と、水野「三王朝交替説」を左図のように対応させる。
つまり、新羅(伽耶)王朝内部の争乱が、玄界灘を挟んで日本列島に連動しているとみるわけである。
朴炳植氏は、伽耶の第二王朝から第三王朝への転換は、日神信仰から熊信仰への転換であるとする。
これを受けて、室伏氏は、仲哀を倒した熊襲の「熊」、出雲一の宮の熊野大社の「熊」、神武東征における熊野迂回における「熊」の字に注意を向けている。
さらに、室伏氏は、1990年夏に、伽耶の大成洞古墳から、「槨あって棺のない」王墓が発掘されたことを指摘する。
それは騎馬民族に特有のものである。
また、その王墓から、日本にしか発掘されていなかった巴形銅器、筒型銅器が発掘され、これらの銅器が、朝鮮半島に起源について問題が提起された。
副葬品には、騎馬民族の風習を伝える馬具や甲冑などが多く、伽耶王朝が騎馬民族の地を引くことが立証された。
つまり、室伏氏は、「伽耶三王朝交替史」の背景に江上「騎馬民族征服王朝説」を置く。
九州王朝・倭国は「もうひとつの伽耶」であり、白村江の敗戦後、唐の管理下に置かれ、解体された。
九州を逃げ出した天智は、近江に立て籠もったが、天武によって滅ぼされた。それは、近畿における倭の再興であり、天皇制の開始であった。
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