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2008年5月27日 (火)

偶然か? それとも……③『雲の墓標』

阿川弘之さんの『雲の墓標』新潮文庫(5807)は、文学史上屈指の青春文学ではないかと思う。
京都大学で『万葉集』を学んでいた4人の同級生(吉野、鹿島、藤倉、坂井)が、既に戦局に明るい見通しを持ち得なくなっていた昭和18(1943)年12月に学徒出陣によって応召する。
4人の考え方はそれぞれで、その個性の描き分け方が、日記や手紙の書き方に反映していて、作品の構成を立体的なものにしている。戦争に対して最も大きな疑問を抱いていた藤倉は、昭和19年3月に飛行訓練中に事故死し、主人公格の吉野次郎は、昭和19年7月に特攻死する。
タイトルは、吉野が最後に生き残った鹿島に宛てた次の遺書の文章による。

 雲こそ吾が墓標
 落暉よ碑銘をかざれ

わが旧き友よ、今ははたして如何に。共に学び共によく遊びたる京の日々や、其の日々の盃挙げて語りし、よきこと、また崇きこと。大津よ山科よ、奥つ藻の名張の町よ。布留川の瀬よ。軍に従いても形影相伴いて一つ屋根に暮したる因縁や、友よ、思うことありやなしや。されど近ければ近きまま、あんまり友よしんみり話をしなかったよ。なくてぞ人はとか、尽さざるうらみはあれど以て何をかしのぶよすがとなせ。
 友よたっしゃで暮らせよ。

私は、吉野次郎が死んだ昭和19年7月の直後の8月にこの世に生を享けている。つまり、20年ほど早く生まれていれば、同じような立場に立っていた可能性は十分にあるということだ。
何が機縁だったのかは忘却の彼方であるが、高校時代に読んで大きな感銘を受けた。
この書を読んだことが、京都の大学で学びたいと思った一因であるから、人生を決めた一書ということにもなるだろう。
諸般の事情で、吉野たちの文学部ではなく、工学部という実務的な学部を選んだのではあったが、学生生活を京都で過ごしたことは、やはり私の原体験の一部になっていると思わざるを得ない。
『雲の墓標』は、吉野たちの青春を描いているという意味で文字通り青春文学の傑作なのであるが、青春期において最も影響を受けたという意味でも、私にとっては青春の書なのであった。

青春とは何か?
河上徹太郎が的確な言葉を残している。『私の詩と真実』講談社学芸文庫(0706)の一節である。

人は、その青春にあたって先ず情熱を注ぐことは、激しい自己鍛錬によって自分の感受性の形式を確定することである。そしてこの形式の独自性の中に、初めてその人の個性とか資質と呼ぶべきものが芽生えるのだという風に私は考えている。

河上徹太郎は、小林秀雄、中原中也、大岡昇平らとの交友の中で、「激しい自己鍛錬によって」「感受性の形式を確定」していった。
私も、「激しい自己鍛錬」であったか否かは別として、「感受性の形式」が青春期に形成されたのだと思うし、河上徹太郎のように煌びやかな交友関係ではないにしても、幸いにして多くの優れた友人たちに恵まれた。

『雲の墓標』の冒頭部分に、応召の直前の11月の末、最後の万葉集の演習が終わって、図書館裏の大きな橿の木の下でしゃべりあった時、鹿島が詠んだものとして次の歌が掲げられている。

真幸くて逢はむ日あれや荒橿の下に別れし君にも君にも

この歌を、私は、ずっと作者の阿川さんが創作したものだと思っていた。いかにも万葉集を学んでいる学生の詠みそうな感じであり、さすがに作家の力量というものは違うというように感じてもいた。
最近、ようやくという感じで、大分前に東京駅八重洲地下街の古書店で購入し、そのまま積ん読状態だった大浜厳比古『万葉幻視考』集英社(7801)を、読了することができた。
そして巻末の坂本信幸さんの「解説」を読んで驚いた。
上掲の歌は、大浜氏が学徒徴集の際に詠作したものだという。
そして、『雲の墓標』は、大浜氏の友人の万葉学者・吉井厳氏の日記をもとにした作品とのことだ。
日本古代史への興味から、『万葉集』に関連した書を読み始めたところであった。
今まで積んでおいた大浜氏の著書を、読了できるまでには好奇心のポテンシャルが上昇したということだと思うが、思わぬところで青春の書の背景に触れえたことになる。
「序」は梅原猛氏が書いているが、大浜氏は、かの高橋和巳氏に似た飲みっぷりだったらしい。亡くなったのは56歳だった(1977年2月)とのことであるが、大浜氏にとっては、生き残った戦後の生は、ある意味でオマケのような気がしていたのではないか、と思う。

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