大津皇子処刑の背景…③林青梧説
大津皇子の謀反事件については、梅原猛氏の見かた(07年8月31日の項)、上山春平氏の見かた(07年9月1日の項)について検討したが、林青梧氏はどう見ているか?
『日本書紀』の天武13年春1月の条に、次のような記述がある。
二十八日、浄広肆広瀬王・小錦中大伴連安麻呂および判官・録事・陰陽師・工匠らを畿内に遣わして、都を造るに適当な所を視察し占わせた。この日、三野王・小錦下采女臣筑羅らを信濃に遣わして、地形を視察させられた。この地に都を造ろうとされるのであろうか。
そして、4月の条には次のように書かれている。
十一日、美濃王らが信濃国の図面をたてまつった。
つまり、信濃遷都計画があったことになる。
それを、林青梧氏は、薬師寺まで唐に詰め寄られた天武の乾坤一擲の反抗策ではなかったかとみる。
唐の圧力に、国都を信濃に移して対決しようとしたが、それは失敗した。
その結果、外国勢力を懐柔することが必要になった。
冬十月一日、詔して、「諸氏の族姓を改めて、八種(クサ)の姓をつくり、天下のすべての姓を一本化する。
第一に真人。第二に朝臣。第三に宿禰。第四に忌寸。第五に道師。第六に臣。第七に連。第八に稲置である」といわれた。この日、守山公・路公………の十三氏に、姓を賜って真人といった。
……
十一月一日、大三輪君・太春日臣………の五十二氏に、姓を賜って朝臣といった。
……
十二月二日、大伴連・佐伯連……の五十氏に、姓を賜って宿禰といった。
……
十四年春一月二日、百寮は賀正の礼を行なった。二十一日、さらに爵位の名を改め階級を増加した。
二月四日、大唐の人・百済の人・高麗の人合わせて百四十七人に爵位を賜った。
つまり、これらの措置は、唐羅勢力との調停であり、結果的に混合国家が成立したことになる。
その過程で天武は疲れ果てたのか、14年9月24日に病に倒れる。
翌年の秋7月には、次のような状況になる。
十五日、勅して、「天下のことは大小となく、ことごとく皇后および皇太子に申せ」といわれた。
つまり、天武はもはや唐羅の内政干渉をはね返すことができなくなっていた。
その頃、鸕野は県犬養三千代を使者として不比等を訪問させ、「天下を恢興する策や如何?」と下問したのではないか、と林氏は推測する。
天武12(683)年2月1日に、「大津皇子がはじめて朝政をお執りになった」とあり、唐羅への反抗は、大津の性格を反映したものとも考えられる。
不比等は、唐羅への反発による失政の責を大津に負わせる案を示す。
朱鳥元年九月九日、天武天皇が崩御され、皇后は即位の式もあげられぬまま、政務を執られた。
林氏は、これは持統による一種のクーデターではないか、とする。
そして、ひと月も経たない10月2日、皇子大津の謀反が発覚し、長期の天武の殯に入る。
大津皇子の事件について、林氏は次のように推測する。
天武が病に倒れたとき、大津が継続して朝政を執れば、国内の諸豪族は支持するであろうが、唐羅は喜ばないから、採用できない。とすれば、表面親唐内面反唐の自主路線で行くしかない。
外交を優先させて、内政をそれに調和させる道である。つまり反対者を黙らせることが必要である。
持統と不比等は、大津に一撃を加えることによって国内に恐怖を与え、女帝を立てることによって外圧を緩めさせて、日本国自立の道をさぐった。
4年に及ぶ長期の天武の殯は、天武の柩を守る持統への忠誠の誓いの儀式であった。
国内を統一する心理的な基盤を確立するために、大津皇子の死が必要だった。
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