紫香楽宮跡から出土した木簡に万葉歌
5月23日の各紙は、滋賀県甲賀市の紫香楽宮跡から出土した木簡に、万葉仮名で書かれた歌が記されていたことが判明したことを報じている。(写真は静岡新聞)
紫香楽宮は、742年に離宮として造営が始まり、745年までの短い期間の宮都だった。聖武天皇の時代で、天皇はここに廬舎那仏を造営することを発願した。
今回の読解は、既に1997年に、「難波津の歌」が記されていたことが知られていた木簡の反対面に、「安積山の歌」が記されていたことを再発見したというものである。
発見したのは大阪市立大学の栄原永遠男教授である。
「難波津」の歌の記されている例は30以上に上り、この木簡もそのようなものの1つと考えられてきた。
栄原教授は、2006年に、大阪市中央区の難波宮跡から、和歌とみられる万葉仮名の木簡が出土して以来、「歌を書くための木簡=歌木簡」があるのではないかと考え、全国の「歌木簡」とみられる木簡を調べてきた。
そしてこの「難波津の歌」の木簡を裏返してみたところ、「安積山の歌」と見られる万葉仮名を見つけ、赤外線写真で確認し、今回の発表となった。
今回の発見が反響を呼んでいるのは、両面に書かれている歌が、『古今和歌集』の紀貫之の仮名序に引用されている歌で、手習いの最初に使われる歌とされるものだからである。
ちなみに、仮名序の当該部分の現代語訳は以下の通りである。(http://www.kotono8.com/history/tosa/09050418.html)
こうして、花を愛で、鳥をうらやみ、霞に心動かし、露をいとおしむ心、言葉は多く、さまざまな歌になりました。遠い所へも、出発する足元から始まって年月を経、高い山も、麓の塵・泥からはじまって、天雲たなびくまで盛り上がるように、この歌もそのようになったのでしょう。難波津の歌は、帝の御世の初めのものです。安積山の言葉は、采女が戯れに詠んだもので、この二首の歌は、歌の父母のようなもので、手習いをする人の初めにならいました。
この木簡は、同じ箇所で年号入りの木簡が出土していることから、天平15(743)年秋から745年春にかけて捨てられたものであると推測されている。
今回の再発見は、『万葉集』成立以前、『古今和歌集』の仮名序をさらに160年ほど遡る時点で、この2つの歌が流布していたことを示すものである。『万葉集』の表記との比較などから、さまざまに推測されている『万葉集』の成立事情や「上代特殊仮名遣」(08年2月9日の項、2月10日の項、4月19日の項、4月20日の項、4月21日の項、4月22日の項)など、論議の多い万葉仮名の使われ方に関して、貴重なデータを提供するものといえる。
ちなみに2つの歌は以下の通りである。(毎日新聞)
<難波津の歌>
難波津に咲くや木(コ)の花冬こもり今は春べと咲くや木の花
(訳)難波津に梅の花が咲いています。今こそ春が来たとて梅の花が咲いています
<安積山の歌>
安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに(安積香山 影副所見 山井之 浅心乎 吾念莫国)
(訳)安積山の影までも見える澄んだ山の井のように浅い心でわたしは思っておりませぬ)
(いずれも「新編日本古典文学全集」小学館より。「安積香山」で始まる表記は、万葉集の原文)
紫香楽宮と『万葉集』に関連する事象を年表的に整理すれば、以下の通りである。(読売新聞)
740年 藤原広嗣の乱。聖武天皇が平城京を離れる
742年 紫香楽宮の造営始まる
744~745年 万葉歌木簡が捨てられる
745年 紫香楽宮で放火などが相次ぎ、都を平城京に戻す
このころ『万葉集』巻16まで成立か
759年 大伴家持が『万葉集』最後の歌を詠む
782~783年 『万葉集』が巻20まで成立か
905年 『古今和歌集』成立
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