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2008年5月29日 (木)

『言うなかれ、君よ別れを』

一昨年に亡くなった久世光彦さんがプロデュースしたTVドラマに、『言うなかれ、君よ別れを』という作品がある。
脚本を向田邦子さんが書き、岸惠子さんが主演したもので、DVD化されている(『言うなかれ、君よ別れを』)。
あらすじは以下の通りである。

昭和20年1月、日を追うごとに激しくなる空襲に、東京・目黒に住む朝比奈家も不安の日々を送っていた。軍医だった父は戦死し、長女の真琴をはじめとする三姉妹は母親の絹江と女ばかりの四人暮らし。ある日、父親と同じ部隊で世話になったと話す男・壇吉が現れて絹江は歓迎するが、戦地のこととなると話をごまかし、肝心なことは何も言わない壇吉を真琴は信用できずにいた。しかし、貴重な白米を持ってきたり、絹江たちを守るのが自分の使命だと話している…。そんな壇吉がある日空き巣まがいのことをした。現場を目撃した真琴は出て行けと怒鳴るが、絹江は壇吉をかばい続ける。一体壇吉は何者なのか…。

久世さんは、このドラマの最後に、『海ゆかば』という軍歌を用いた。
『万葉集』の巻18に収められている大伴家持の「陸奥國より金を出せる詔書を賀く歌一首/短歌を併せたり」という詞書のある歌(4094)の一部に、昭和12(1937)年に信時潔が曲を付けた。

海行かば 水浸く屍 山行かば 草生す屍 大君の 邊にこそ死なめ 顧みは せじと言立て

WIKIPEDIAによれば、以下のような使われ方をした。

これは当時の日本政府によって国民精神強調週間が制定された際、そのテーマ曲としてNHKが信時に嘱託して完成されたもので、出征兵士を送る歌として愛好された(やがて若い学徒までが出征するに及び、信時は苦しむこととなる)。1937年11月22日に国民歌謡で初放送。本来は国民の戦闘意欲を昂揚せしむるべく制定された曲であるが、この曲を大いに印象づけたのは、「玉砕のテーマ」として、則ち大東亜戦争(太平洋戦争)末期にラジオ放送の戦果発表(大本営発表)の際に、その内容が玉砕である場合、番組導入部のテーマ音楽として用いられたことである。

久世さんは、この歌が詞・曲共に美しいものだという、いわば確信犯としてこの曲を使ったのだろうが、上記のような事情が記憶されていることからすれば、かなりリスクのある選択だったとも言える。
久世さんの『みんな夢の中』文藝春秋(9711)という書によれば、放送終了後の反応は以下のようであった。

--そして八月十五日、青空を見上げる岸惠子さんの目の裏に、軍医の夫が死んだ紺青の海が浮かび、壇吉の吹いた『海ゆかば』が耳に蘇る。茫然と空を見ている母と三人の娘たちの姿を撮りながら、私は阿川弘之の『雲の墓標』のエピグラムを思い出していた。--《雲こそわが墓標/落暉よ碑銘をかざれ》
放送が終わった後、私たちのところへ驚くほどの数の手紙が届いた。一言で言えば、『海ゆかば』に泣いたというのである。
私は『海ゆかば』の彼方に日本の山河を見る。紅に染まって昏れてゆく、日本の海を見る。そして、朝靄の中に明けてゆく、美しい私たちの山河を護るために、死んでいった従兄たちの面影を見る。

ちなみに、「言うなかれ、君よ別れを」は、大木惇夫さんの『戦友別盃の歌』という詩の一節である。

言うなかれ 君よ別れを 世の常を また生き死にを
海原の はるけき果てに 今やはた 何をか言はむ
熱き血を 捧ぐる者の 大いなる 胸を叩けよ
満月を 盃に砕きて 暫しただ 酔いて勢へよ
わが往くは バタビアの街 君はよくバンドンを突け
この夕べ 相離るとも 輝やかし 南十字星を いつの夜か また共に見ん
言うなかれ 君よ別れを
見よ空と 水うつところ 黙々と 雲は行き雲は行けるを

森繁久弥さんの愛唱詩だということを読んだ記憶がある。
なお、『雲の墓標』は、1957年に松竹で映画化されている。キャスティングは、田村高広(吉野次郎)。田浦正巳(藤倉晶)、渡辺文夫(坂井哲夫)等であり、『風の盆恋歌』新潮社(0306)の作者の高橋治が、監督の堀内真直と共同で脚本を書いている。

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