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2008年5月 2日 (金)

仁徳天皇陵の工事試算

大阪府堺市にある大仙古墳、一般に仁徳天皇陵といわれている古墳は、前方後円墳の典型であるが、長さが400mを越える巨大な規模を誇る。
このような巨大古墳を築造するためには、それに相応した強い権力があっただろうと、素朴に思う。
もちろんそれが本当に仁徳天皇陵であるのかどうかは、現時点では確証があるわけではないが、以下通称として、仁徳天皇陵の名称を用いる。。

仁徳天皇陵という巨大な古墳について、加藤秀俊・川添登・小松左京監修、大林組編著『復元と構想』東京書籍(8603)が、面白い推計を行なっている。それは、このような巨大な構造物を築造するのに、どの程度の工数を要し、その工事費は現在の金額に換算すると、いくらぐらいになるかを試算してみたものである。
もちろん、推計にはいくつかの前提が置かれているし、古代工法そのものが完全に復元できるわけではないから、相当の誤差を含むものであることは容認することが必要である。
大林組の推計の大要は、以下の通りである。

1.立地
仁徳天皇陵は、現在は海岸線からかなり内部に入ったゆるやかな台地上に位置しているが、築造期には海岸線は、現在よりもずっと内陸側に入り込んでいた。
想定される海岸線からすると、仁徳天皇陵は、海に近い小高い台地に造営され、海を航行する船の視野に入ると共に、大阪湾を一望できる広大な視野を持っていたと考えられる。
土木工学的な視点でみると、140万㎥とされる土量を支えるためには相当な地耐力が必要で、この陵は、礫層を主体とした洪積段丘上に位置していて、土層は砂礫層と固結した粘性土との互層で、現在の土木工学からみて、十分な地耐力をもつ地盤であるとされる。

2.土取り場
140万㎥と推定される土は、どこから採取されたものか?
先ず第一に想定されるのは、墳丘をめぐる濠の掘削土である。現在一番外側にある三重目の濠は、後世に掘削されたもので、本来は二重濠だったとされる。
二重濠を前提に、140万㎥の土量を計算すると、濠の深さは10m以上必要となるが、掘削法面の安定性や湧水等を考慮すると、当時の技術水準では5mを限度とみると、掘削土量は必要量の半分程度である。
当時の運搬手段は人力主体なので、土取り場は陵の近くに限定される。陵の西側に不自然に窪んだ土地があるので、そこから運搬されたものと考えられる。

3.葺石採取場所
仁徳天皇陵は現在は樹木に覆われているが、築造当時は、表面は葺石で覆われていたと想定される。
やや大型の川石を利用していたとされ、陵の南側にある石津川(運搬距離約5.8km)が有力な採取場所と考えられる。

4.設計数量
a 敷地面積…478,000㎡(現在の仁徳天皇陵敷地)
b 伐採除根の範囲…368,600㎡(二重濠外縁部の外側10mの範囲)
c 陵の主要部の面積
  -外濠面積…44,580㎡
  -内濠面積…131,690㎡
  -中堤面積…65,800㎡
  -墳丘面積…103,410㎡
d 墳丘の規模
  -前後の主軸の長さ…475m
  -前方端の幅…300m
  -前方丘の高さ…約27m
  -後円丘の径…245m
  -後円丘の高さ…約30m
  -墳丘の土量…1,405,866㎥
e 濠の掘削土量
  -内濠…599,000㎥
  -外濠…139,000㎥
     計…738,000㎥
f 客土量…742,000㎥
g 運搬土量…1,998,000㎥
h 葺石数量…5,365,000個
i 埴輪数量…約15,000個

5.工期と工費
・工期
  -現代工法…2年6ヵ月
  -古代工法…15年8ヵ月
・工数
  -現代工法…延べ29,000人(1日当たりピーク時60人)
  -古代工法…延べ6,807,000人(1日当たりピーク時2,000人)
・工費(試算当時)
  -現代工法…20億円
  -古代工法…796億円

この試算が発表されたのは、「季刊大林」No.20(8504)である。当時と現在のデフレーターを勘案すれば、古代工法の現在価値は、約2,000億円を越えるものと思われる。
といってもピンと来ないが、必要性について大きな論議を呼び、湛水が始まった徳山ダムの建設費が、当初の約2,500億円から3,500億円に膨らんだとされている。
仁徳天皇陵試算の有効数字はせいぜい1桁程度だろうから、巨大ダムと同程度の工費というイメージだと考えていいのではないだろうか。
ちなみに、同ダムの堤体積は13,700,000 ㎥というから、仁徳天皇陵の墳丘は約10の1程度ということになる。

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