『世代』と遠藤麟一朗
河上徹太郎氏は、「青春は感受性の形式を確定する時期」という。
感受性というのは、外界からの信号・情報を受け止めるセンサーの感度のことだろうから、ちょっと考えると、受動的な感じがする。しかし、人間という生物は、その受け止めた信号・情報を咀嚼して、自らの判断や行動の指針に変容する。言い換えれば、感受性というのは、能動的な作用を持っているということだ。
例えば、音感という感受性について考えてみよう。
楽器を習う人は、音感が向上するに連れ、自分の欠点が気になるのだという。それがさらなる向上への原動力となるわけであるが、音感もさらに向上するから、よりレベルの高い欠点が気になるようになる。
かくして、音感とスキルはスパイラルに向上していくわけである。
このようなメカニズムは、すべての事象について当てはまるだろう。「感受性の形式」というのは、何に対してどの程度鋭敏か、ということだと思う。
河上氏の言葉は、青春期とは、目鼻だちのはっきりしない混沌の状態から、自らのアイデンティティをはっきりさせていく過程だということだろう。
人は独りだけでは生きていけない。
どんなに人間嫌いであっても、何らかの集団に帰属している。そして集団において、個体同士が相互に影響を及ぼし合う。
その相互的影響関係は、もちろん物理的な面もあるが、情報的な面もある。情報的な、ということは、時間と空間を越えた相互作用が可能だということである。
しかし、直接的に触れ合う関係は、もちろんより濃密な影響を及ぼし合うだろう。青春期における交友とは、まさにこの直接的な影響関係が、ある意味で無制約的に行なわれる場である。
その意味で、青春期における交友は、人生において決定的な重要性を持っているということになるだろう。
青春を共有するということは、同じ世代に属するということである。
古代のエジプトだかの遺跡に落書きがあって、「最近の若い者は……」と読解されたという話を聞いたことがある。
「最近の若い者は……」という言葉は、次の2つのメッセージを持っているだろう。
・今も昔も、世代間のギャップの感覚は同じようなものなのだ(時代を超えた共通性)
・同じ時代に生きていても、世代間のギャップは超え難い(同時代における差異性)
「世代」という言葉で思い出されるのは、『世代』という雑誌のことだ。
中央公論の名編集長として名を馳せた粕谷一希氏に、『二十歳にして心朽ちたり―遠藤麟一朗と「世代」の人々』洋泉社(0711)という著書がある(元版は、新潮社0811刊)。
サブタイトルが示しているように、『世代』という雑誌の初代編集長を務めた遠藤麟一朗という人を中心に、「『世代』の世代」の人間像を描いたものである。
東亜・太平洋戦争の敗戦によって、戦前・戦中に抑圧されていた文化欲求を満たすべく、「雨後の筍の如く」数多くの雑誌が生まれた。その大半は、「3号雑誌」だった。つまり、創刊して3号ほどで休刊や廃刊するものだった。
同じような意味で、「カストリ雑誌」という言葉がある。カストリというのは、粕取りのことで、酒粕を搾り取ったものだが、敗戦後にはメチルアルコールなどが加えられた密造酒の別名として使われていたらしい。
子どもの頃、メチルは、「目をつぶす」というように言われていたような記憶がある。カストリ酒は、どんな酒豪でも3合も飲めば倒れるということで、「カストリ雑誌」は3ゴウで倒れるという意味である。
そういう中にあって、『世代』は稀有のクオリティを保持していたらしい。
全国大学高専生機関誌と銘打って創刊された。
加藤周一、中村真一郎、福永武彦といえば、戦後文学史を代表するビッグネームということになるが、彼らが「マチネ・ポエティック」同人としてデビューするきっかけを与えたのが、遠藤麟一朗編集長が『世代』に用意したコラム欄だった。
学生投稿者からは、いいだもも、吉行淳之介、中村稔、八木柊一郎らの錚々たるメンバーが輩出した。
そのようなクオリティを保持しえたのは、遠藤麟一朗編集長の力量による。
遠藤麟一朗氏は、友人たちから「われわれの青春のシンボルだった」「桃の花 と春の風みたいな爽やかさ」「絹糸のような繊細な神経」「匂うような美少年」などと評されている。
何となく、ブントを創始した島成郎氏(07年10月12日の項)を評する言葉と通じるものを感じさせる。
エンリンこと遠藤麟一朗氏は、東大卒業後住友銀行に入社、労働組合運動に参加後に5年半の左遷時代を経て、アラビア石油に入社した。志願してクエートの砂漠にあるカフジ基地に11年勤務した後、本社に戻って昭和53年に胃潰瘍のため死去した。
アラビア石油時代のエンリン氏は、『世代』の頃の華やかさからすれば、驚くほど自己抑制的だったようだ。
原油価格が急激に高騰している現在、2000年に失効したアラビア石油の採掘権が保持されていれば、と思う。
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