四川大地震と都江堰
5月12日に発生した四川省の巨大地震の被害の全貌は未だ明確になっていない。
日が経過するに連れ、報道される被害規模が大きくなっており、この地震が原因で亡くなられた方は10万人近くになることになるのではないだろうか。
もし、首都圏等でこの規模の地震が発生したら、どんなことになるのだろうか?
地震が発生した四川省は、中国南西部に位置する四川盆地と、周囲に広がる山岳地域とから成る。山岳地域は、標高5000m級のチベットにつらなる嶮しい山々であり、四川盆地は標高500m程度であるから、急激に地形が変化している。
それは、この地域が、古くから地質活動が活発なためであり、インドプレートがユーラシアプレートを圧迫していることによるもので、ヒマラヤ山脈が形成されたのも、このプレート活動の結果である。(図はWIKIPEDIA)
急峻な山から流れ出た川は、扇状地を経て盆地を形成している。長江の上流部とその支川である。
岷江など4つの大きな支川が、「四川」の名前のもとになっている。支川といっても、広大な中国大陸であるから、もちろん大河川と呼ぶに相応しい規模である。
気候的には内陸部の亜熱帯性気候で、一年中湿潤で曇った日が多いとされている。
この地域は、三国志でお馴染みの蜀の国で、劉備玄徳が蜀漢を興した地である。
今回の地震の震央部付近に都江堰市がある。都江堰市の名前は、治水・利水施設として、2300年前に築造されたという都江堰に由来している。都江堰は、四川の1つである岷江に設置されているが、世界文化遺産にも登録されており、水関係の技術者にとっては聖地というべき場所である。
その都江堰市でも大きな被害が発生していることが報じられている。
岷江の流路延長は約700kmであり、都江堰はちょうど真ん中辺りのところに位置していて、水源から340kmの地点にある。
岷江は、岷山南麓の標高4000m地点から、一気に成都平原に流れ出るが、都江堰は、成都平原に流 れ出る扇状地の扇頂部にあたる場所にある。
都江堰市は、以前は灌県と呼ばれ、四川省の首都である成都市の北西に約60km離れたところに位置した地方都市である。(図は、折敷秀雄『岷江を訪ねて(下)』(日本河川開発調査会「にほんのかわ」No.116(0707)所収)より引用)
都江堰は、秦の始皇帝が中国を統一する以前の、紀元前256年に着工されたといわれている。万里の長城とほぼ同時期である。
岷江は、増水期になると氾濫して災害をもたらす一方で、成都平原の潅漑用水の供給源であったが、水量が不安定だったことが、農業発展の制約条件になっていた。都江堰は、李冰・二郎の親子が、水を成都平原に導入しようとして始めた事業である。親子の偉業を讃えた二王廟という施設が建造されている。(図は、折敷秀雄『中国・古代水利の若返り』日本河川開発調査会「にほんのかわ」No.113(0608)所収より引用)
李冰は、都江堰の根幹施設である「魚嘴(ギョシ)」「宝瓶口(ホウビンコウ)」「飛沙堰(ヒサゼキ)」を築いて、岷江から分水する水路の最初の工程を建設したとされている。
運河を成都まで掘り、宝瓶口から引き入れられた水は、水運用水として活用され、成都平原は、堀が縦横に走る肥沃な土地となった。
紀元前に作られたという巨大な李冰の石像が、30数年前に河床から掘り出され、都江堰に祀られているという。(和田一範『信玄堤』山梨日日新聞社(0212)。
(写真は、上掲和田氏著書より引用)
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