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2008年5月22日 (木)

安万呂の暗号

『日本書紀』の大津皇子処刑記事に次のような謎の一文がある。

この年、蛇と犬とが相交(ツル)んだのがあったが、しばらくして両方とも死んだ。

この一句は何を意味しているのだろうか?
これを、林青梧氏は、『「日本書紀」の暗号』講談社(9009)で次のように謎解きをしている。

『書紀』筆法の反対論でいくと、《しばらくして両方とも死んだ》は、やがて両方とも、明確な形を失った。つまり、現実の中に消えたという意味だ。《相交んだ》は密議したであろう。となると、蛇は持統、犬は臣下の不比等ということになるかも知れない。しかもその一行は、大津の処刑と、粛清の嵐殯三年半の間にはさまれている。これは何を意味するのか。「そうだ……」とわたしの胸に、落ちてくるものがあった。
「これは、安万呂が後世、『日本書紀』という闇の中に、しゃにむに分け入ってくるものに示した暗号に違いない。この年の事件のすべては、持統と不比等の密議から出たものであり、その密謀どおりに、その後のすべては進展した」
 と、大安万呂は、『書紀』の中に書き残したのだ。この暗号が、いつの日か解読されることを念じながら……。
……
 鸕野皇后と藤原不比等との密議談合が頻繁に行われたのは、大津皇子謀殺の渦中か、あるいはその直後、そして、恐怖の天武殯の始まる直前であったことが、安万呂のこの一句で立証されたのだった。そして、その合議の結論はきびしく実行され、その後の日本国の形成の中に、発展的に解消し、実現していった、と断定することが可能なのである。

林氏は、鸕野皇后の提議とそれに対する不比等の応答を、以下のように推測する。
1.「日本国」に在住する三韓系、新来の高句麗、新羅、さらには亡命百済系(鸕野の一族を含む)など、すべての日本国在住者を統合し、新しく「日本人」を形成する方法やいかに?
→各国人が統合された「日本人」となるためには、統合全住民が唯一の権力、絶対化された主権を持つことが必要である。
王権の従属関係を否定するためには、主権の質的優位を確立しなくてはならない。
中国では、高宗が病床にあり、皇后の武則天が実際の政務を担当し、帝王権を誇示するために、高宗を「天皇」と称し、自分を「天后」と自称している。それは、鸕野皇后と全く同じ立場ではないか。
そして、王権を強化するために、天武殯の期間中に、皇太子以下百官を天武の遺骸の前にぬかずかせ、忠誠を誓わせた。
そして、唐では天命を失った皇帝が放伐されるのに対し、放伐されないようにするために、天皇は天命そのものである、というアイデアを案出した。つまり、現人神として、代々その血脈を伝え、不可侵の神とする。何十代も継続すれば、大唐以上の国柄となり得る。

2.日本律令の実現方法やいかに?
→「天皇号」の採用を前提とすると、律令制の構成の中に、主権の問題を取り入れざるを得ない。
それは、これまで中臣家が主宰してきた神事を、天皇主権に結びつけて、律令制の中に組み込むことによって実現できる。
不比等は、藤原氏の本流である中臣氏の、意美麻呂によって代表される「神官」職を、正式に、国法による神事担当者として、律令の内か外に位置づけることにした。
天皇を現人神とする以上、天皇神事は他の一般神事と同列に扱うべきではなく、「神祇伯」として、「神祇令」によって行うことにすればいいだろう。

3.天武によって提唱され、中断中の修史事業の実現方法やいかに?
→林によれば、天武は、大化改新と称する新羅の内政干渉を督励するために、金春秋の命令で倭にやってきて王位に押し上げられた金多遂であるから、彼が編纂できる歴史書などはあり得ない。
そこで、蘇我氏等の在来勢力からの予想される反応に対応するため、『帝紀』とか『本辞』など諸氏の持っているものは、一族中心的な間違いが多いから、いまその誤りを正そうということにしたらどうか。
問題は、天皇号の割り込ませ方であったが、それを文辞修飾の大家・太安万呂に任せることにした。

これらの諸事業に共通する真の目的が、日本主権の独立と唐勢力の排除にあることが、薬師寺にいる唐人や、対唐従属的な倭人に気取られると、唐の強力な干渉を招き、鸕野と不比等の失脚を招く可能性がある。
唐の同意を得られるように編纂すれば国内豪族を反発させ、国内豪族の喜ぶようなものでは唐が承知しないだろう。
問題の突き当たる壁が二面あるのならば、二冊つくればいいのではないか。
こうして、『古事記』と『日本書紀』の芽は生まれた。

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