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2008年5月 9日 (金)

逆転の発想としての騎馬民族征服王朝説

笹山晴生『日本古代史講義』東京大学出版会(7703)でも、江上波夫氏の「騎馬民族征服王朝説」について触れている。

一九四八年に提唱された江上波夫の著名な騎馬民族征服説は、四世紀から五世紀にかけて東アジアに南下し、農耕社会に定着した北方系騎馬民族の一派が、朝鮮をへて日本にも渡来し、卓越した軍事力によて倭人を征服し、日本の支配者になったと主張するものである。江上によれば、四世紀前半に任那から渡来した騎馬民族は、まず九州北部に第一次の建国をし、ついで四世紀末から五世紀初にかけて東方に進み、河内を根拠地とする第二の建国を行い、やがて大和の政権を併合して日本の支配者になった。第一次の建国の祖が崇神天皇(ミマキイリヒコ)であり、第二次の建国の祖が応神天皇であるという。

と要領よく紹介した後で、次のように評価している。

江上の説は、考古学的にみて疑問とすべき点が多いが、日本における国家の形成を外的な要因から捉えようとした点で画期的なものであり、また日本古代の民俗・言語・神話における北方的・南方的要素の存在の解明にも、大きな示唆を与えるものである。応神天皇については、記紀の所伝においても新王朝の創始者としての性格が濃厚であり、四世紀末の朝鮮をめぐる激動のなかで、軍事的指導者による王位簒奪などのかたちで王権の交替が行なわれた可能性は認められるが、その場合でもそれは支配層の完全な交替ではなく、王権の基盤をなす体制は、前代以来の体制を継承発展させたものであったと考えるべきである。

王朝の交替という点に関しては、笹山氏は、同じ東大国史の先輩筋の井上光貞氏の見解を引用している。

記紀の伝承によると、応神天皇は九州北部で母神功皇后から誕生し、麛坂・忍熊の二王を破って畿内に入り、王位についたとされており、その出生が神話化されている。井上光貞は、応神天皇が帝紀の系譜では元来それまでの崇神王朝とは別系であり、入聟のかたちでつながるものであったと思われることと関連して、応神天皇が九州北部の軍事的指導者の一人で、大和政権の王位を奪ったか、あるいは天皇自身が騎馬民族系の渡来者で、九州から畿内を平定した可能性もあるとしている。

テキストとして公平な記述を心がけているためだとは思うが、笹山氏自身の評価はどうなのか、という辺りがスッキリしない。
まあ、物事は単純に割り切れるものではなく、常に左右・上下・裏表等から多面的に見ることが必要である。われわれは、生きている間にどうしても身に着けてしまう物の見方・考え方というものがある。
例えば、地図は北を上に南を下に書くのが普通だから、どうしてもそういう感覚が当たり前のようになってしまう。ところが、オーストラリア等で売っている、南を上にした世界地図を眺めていると、大げさにいえば世界観が変わってくる気がする。
同じことは、日本列島と朝鮮半島との関係についてもいえる。
朝鮮半島の側から日本列島を描いた地図を眺めていると、われわれの歴史認識が、地図のもたらす固定観念と不可分だったのではないか、と思う。

創造性開発の本では、固定観念を打破して、自由な視点から考えることの重要性が説かれている。
代表的な言葉として、「馴質異化」「異質馴化」というものがある。
異質馴化とは、自分には全く未知のもの(領域)のことをヒントに自分の問題解決を着想すること、馴質異化とは、既知のものを、新しい視点から見ることで新しい着想をえること、である。
http://www.h2.dion.ne.jp/~ppnet/prod0821.htm
もちろん、その趣旨は理解できる。そうできれば、従来とは異なる物の見方・考え方ができるであろう。
しかし、「言うは易く、行なうは難し」である。
自分には全く未知のものから、どうやってヒントを見つけ出すことができるのか?
既知のものを新しい視点から見ることができるのか?

織田正吉・松田道弘『遊び時間の発想』日本経済新聞社(8204)は、観念の固定化を防ぐための実践論に満ちた書である。
残念ながら、Amazonの古書でも品切れ状態らしい。こういう本こそ、再販されてしかるべきだと思う。
第一に「まえがき」の冒頭から、人を食った書き出しである。

日本在住の外国人があるアンケートで日本の印象について答え、
「日本人が多い」
といっているのに驚いたことがある。

われわれは、「日本に日本人が多い」のは当たり前だと思うが、それは実は世界では当たり前の現象とは言えないということだ。
同書の中に、「『騎馬民族説』--これはまさに逆転の発想」とする箇所がある。

従来の史学では、大和の王権が拡大し、強大になった軍事力が、四世紀後半、朝鮮に向けられ、出兵して任那に日本府が設けられたりしたというんでしょう。江上さんは一八○度反対に、日本の方が朝鮮経由で渡来した騎馬民族によって征服されたのと考える。

日常生活では、天動説を疑う必要性はまったくない。
しかし、より広い視野を求める場合には、地動説でなければならない要素が出てくるのと同じことだろう。

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