天皇家と空気
人間である天皇を象徴だ、という用法は、松田聖子が「1980年代日本の芸能シーンの象徴」というような用法と同じように、「ごく稀」な用法ということである。
いささか意地の悪い解釈だとは思うが、天皇家に関する週刊誌等の記事は、芸能人と同じような扱いのことが多いことも事実であろう。
それは、大日本帝国憲法時代の、「神聖ニシテ侵スヘカラス」を否定して、「開かれた皇室」として身近な存在であることをアピールしようとしてきた結果でもある。
しかし、「開かれた皇室」というのは、そもそも根底に矛盾を抱えているのではないか?
皇室の権威の根源が共同幻想であるとするならば、開かれることによって、その幻想性が失われることは必然だからである。
共同幻想的権威を失うのと引き換えに、皇室は、理想的な家族像の「象徴」としての位置を背負わされるようになった、ともいえよう。
「国家の本質が共同幻想だ」ということは、祭祀というような面について考えれば理解できる。
『魏志倭人伝』では、卑弥呼が、「鬼道に事(ツカ)へ、能(ヨ)く衆を惑わす」と表現されている。つまり、卑弥呼は霊能者、言い換えれば宗教者としての性格を持っていたことを示していたということだろう。
邪馬台国が国家としての体裁を整えていたかどうかは別として、つまりその統治のしくみが原初的であったにせよ、官のようなものも存在していたことが窺えるから、一定レベルで統治組織が形成されていたことは想像できる。
もちろん、邪馬台国の女王と天皇家との関係は分からないとせざるを得ないが、政治的な権力の確立過程で、宗教的な力が与っていたことは間違いないだろう。
ある集団に宗教的な理解が共有されているならば、それを共同幻想と呼べるだろう。そして、ある種の宗教的な共通の了解、つまり共同幻想が集団をまとめる力になり得ることも理解できる。
世には多くの宗教団体が存在する。その教義はそれぞれ異なっているのだろうが、宗教性の高い集団の凝集力は強い。
自分では無宗教と思っていても、多くの日本人は、死ねば仏式で葬儀を行なうし、子どもが生まれれば神社にお宮参りに行く。
そういう共同幻想の焦点として機能しているのが、ある場合は芸能人であり、ある場合は皇室なのだろう。
現在の皇室に関して、何かと話題にされるのは皇太子(東宮)家の言動である。
例えば、たまたま手にした週刊誌(『週刊現代080419号』)では、「あなたは、雅子さまと美智子さまのどちらに共感するか?」というような記事の組み方をしていた。
体の不調を抱えながら、多忙な公務をこなす皇后陛下。
そして、子育てをしながら、適応障害と闘う皇太子妃殿下。
正直に言って、天皇家の一員として生きるというのは大変なこと、つまり心身の大きな負担を伴うものであろう、と思う。
皇室を離脱しようと思っても、それ自体が大きな別の心身の負担になるだろう。
そして、そもそも天皇制が共同幻想の1つの形態だとすれば、そこには不合理・非合理な要素が存在していることは当然でもあるだろう。
つまり、合理的な思考をある部分で放棄しなければ、皇室の一員であることを自ら否定しなければならなくなる、というような構造になっているのではないのだろうか。
雅子妃殿下のように、キャリアの外務官僚(外交官)としての履歴を持つ人は、日本人の中でもとりわけ合理的な思考能力に恵まれた人であろう。
皇室での具体的な生活など想像の域外で良くは分からないが、おそらくは伝統やしきたりなどが数多く存在していることだろう。
そして、それらの多くは、必ずしも合理的な根拠を持っているというものではないだろう。
合理的な思考に馴染んできた雅子妃が、そういう不合理・非合理に適応するのが難しいだろうことは分かるような気がする。
ムリに合わせようと思えば、適応障害が発生することも当たり前かも知れない。
皇太子が、「雅子の人格・キャリアを否定するような動きがあった」と発言したことがあった。
その意味するところの内実がどのようなことであったのかは不明だが、人格については別として、キャリアについては外交官だったこと以外には考えられない。
つまりは、外交官としてのキャリアを否定するような発言ということである。
それは、もっと外交に時間を割け、ということなのか? それともそういう活動は慎めということなのか?
私などは、もっと気楽に、「空気」に合わせて生きていけばいいのに、などと考えたりする。つまり、不敬を省みずに言えば、雅子妃は「KY=空気読めない」(08年2月14日の項)なのではないか、という感じがする。
しかし、実際はむしろ逆であって、適応障害というのは、「空気」を意識し過ぎていることの結果なのだろう。
いま、「KY」は、否定的な用いられ方をしていることが多い。
しかし、私は、「空気」を読むことは必要だけど、「空気」に逆らうことが重要な場合がある、とも思う。
その意味で、「KY」という言葉の流行によって、ごく少数の異端が存在を許されにくい「空気」が生まれることの方を恐れる。
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