天皇と憲法
日本国憲法の第一章は「天皇」であり、次のように規定されている。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
私は、現在の情勢下での「護憲」か「改憲」か、という論議に関しては、「護憲」の方によりシンパシーを感じる者である。
しかし、正直に言って、冒頭の、この「天皇」に関する規定については、理解し難いものがある。
「日本国の象徴」とはいかなる意味か?
「日本国民統合の象徴」とはいかなる意味か?
「主権の存する日本国民の総意」とはいかなる意味か?
そういう「象徴」の立場を、「世襲」するというのは、いかなる論理に基づくものか?
「象徴」とは、一般には、あるものを、その物とは別のものを代わりに表象することによって、あるものを間接的に表現し、知らしめるという方法である。
WIKIPEDIA(1月31日最終更新)では、次のような例を挙げている。
あるものに対してその性質や量を表すには通常言葉(言語)や数値が用いられる。たとえば、日本に対してその性質を表すならば「ユーラシア大陸の東端に位置する列島、及びそれを領土・領海・領空とする国家の国号」となろうし、その量を表すならば領土の面積や日本標準時子午線の経度、あるいは各月の平均気温や湿度、平均降水量などを挙げることとなる。
このような具体的表す方法のほかに方法がある。それは、あるものを、その物とは別のものを代わりに表象することによって、あるものを間接的に表現し、知らしめるという方法である。そのことを“象徴”といい、象徴を用いて表現することを“象徴する”という。
この「象徴」に関する解説を、日本国憲法に適用するとどういうことになるか。
「ユーラシア大陸の東端に位置する列島、及びそれを領土・領海・領空とする国家」の象徴が、「天皇」というヒトであるという意味は?
WIKIPEDIAでは、続けて次のように解説している。
象徴として用いられるものは一般に人間以外のものでなければならないのが哲学全般における定説であるが、ごく稀に人間が象徴として用いられる場合がある。例えば、「松田聖子は1980年代日本の芸能シーンの象徴である」のような場合である。この場合、松田聖子という歌手は1980年代の日本の社会・文化の性質や量を表した存在だ、とみなされているわけである。ただし社会科学で用いられる場合更に広義の用法となる場合がある。
つまり、人間である天皇を象徴として用いるというのは、松田聖子などと同じように、「ごく稀」な事例の1つだ、ということである。
しかし、日本国憲法の冒頭が、そのような「ごく稀」な用法で規定されているというのもどんなものだろう、と素朴に思う。
もちろん、憲法というのも歴史的存在であって、前身の「大日本帝国憲法」と対比で考えなければならないことは承知している。
大日本帝国憲法も、第一章は「天皇」であった。
第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
ここでは、「万世一系」が前提とされている。
皇統の男性ということは現憲法と同一であるが、第四条で「統治権を総攬し」とあり、さらに次のような規定もある。
第十一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
つまり、現憲法の天皇が「象徴」として位置づけられているのに対し、大日本帝国憲法では、「統治権を総攬し」「陸海軍を統帥する」存在として規定されていた。
陸海軍が自衛隊となったいまは、自衛隊が軍隊であるかどうかは別として(まあ、軍隊と考えるのが自然で、この部分については、現実と憲法とが齟齬を来たしていると思うが)、自衛隊は内閣総理大臣の指揮下にあることになった。
大日本帝国憲法の時代の日本国の評価は、もちろん光の部分と影の部分とがあって、一言で云々することはできない。
しかし、「天皇」の名において、否定的に評価されなければならないことが行なわれたことがあった、という事実から目をそむけることはできない。
その反省のもとで、「主権の存する日本国民の総意」として、現憲法が採択された、ということだと思う。
「主権の存する日本国民の総意」がどのような手続き的な根拠を持っているか、などという野暮な論議をするつもりはない。
大日本帝国憲法と日本国憲法とを比較すれば、それが歴史の発展の反映であることを素朴に感じることができるだろう。
その制定の過程に、日本国民でない人(例えば、ベアテ・シロタ・ゴードンさん(07年12月2日の項))が係わっていたとしても、そして「総意」とは言えないとしても、現在の日本人の過半数が支持していると思う。
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