上代特殊仮名遣論争
毎日新聞記者として、稲荷山鉄剣銘のスクープをものし、学芸部長を経て京都学園大学の教授になった岡本健一氏に、『古代の光―歴史万華鏡』三五館(9610)という著書がある。
その中に、「上代特殊仮名遣論争」という一節があって、上代特殊仮名遣いを巡る論争の一つの局面が紹介されている。
「大学の紀要ほどつまらないものはない」と言われるが、岡本氏はある紀要の論文に大きな衝撃を受けた、という。
金沢大学文学部紀要に載った松本克己『古代日本語母音組織考--内的再建の試み--』(1975年)である。
それは、橋本進吉博士以来、国語・言語学界において定説としての位置を占めていた「上代特殊仮名遣」の8母音説を否定するものであった。
上代特殊仮名遣は、「キ」「ヒ」「ミ」「ケ」「ヘ」「メ」「コ」「ソ」「ト」「ノ」「モ」「ヨ」「ロ」の13音(とその濁音)について、甲・乙の書き分けをするものである。
つまり、上代特殊仮名遣が行なわれていた奈良時代前半まで、「イ」、「エ」、「オ」の母音に2種類があり、計8母音だった、とする説である。
上代特殊仮名遣は、江戸時代における先駆的論考を、明治末期に橋本進吉東京帝大教授が再発見し、それを8母音として整理した。
つまり、橋本説は、表記上の書き分けは、音声上の差異を反映したものである、とするものである。
しかし、それは「上代特殊仮名遣」という現象に対する1つの解釈であって、8母音が存在したことを証明するものではない。
「上代特殊仮名遣」の研究において、橋本進吉氏の研究を発展させたのが、有坂秀世氏であった。
有坂氏は、「古代日本語には<母音調和>があった」ということを、昭和7(1932)年に東京大学の卒業論文で発表した。同じ年、京都大学の池上禎造氏も、同趣旨の卒業論文で発表している。
<母音調和>とは、相性のいい母音どうしは共存するが、相性の悪い母音とは共存しないという現象で、モンゴル語、トルコ語などの北方系のアルタイ諸語に見られる現象である。
とすれば、日本語の先祖は、北方系のアルタイ語族だった可能性が高い、ということになる。
有坂氏は、1934年の論文「古代日本語における音節結合の法則」で、古代日本語における母音調和を、次のように定式化した。
①オ列甲類音とオ列乙類音とは、同一結合単位内に共存することはない。
②ウ列音とオ列乙類音とは、同一結合単位内に共存することが少ない。特に2音節の結合単位については例外がない。
③ア列音とオ列乙類音とは、同一結合単位内に共存することが少ない。
これは、「有坂の法則」と呼ばれることになった(WIKIPEDIA/080131最終更新)。
松本克己『古代日本語母音組織考--内的再建の試み--』は、橋本-有坂の、8母音説、<母音調和>説を共に否定するものであった。
上記WIKIPEDIAによれば、松本は有坂の音節結合の法則について、「同一結合単位」という概念の曖昧さを指摘した上で甲乙2種の使い分けがある母音だけではなく全ての母音について結合の法則性を追求すべきだとして、1965年の福田良輔の研究をもとに母音を3グループに分けて検証を行なった。
その結果、従来甲乙2種の使い分けがあるとされてきた母音は相補的な分布を示す(つまり、同じ音の守備範囲を分け合っている)などしており、母音の使い分けを行なっていたわけではなく音韻的には同一であったとした。
松本はギリシア語での/k/の表記を引き合いに出し、/k/についてkとqの二種類の文字が使われていたからと言ってそれがギリシア語で2種の子音が意図的に使い分けられていたという事実を示すわけではないことを挙げ、同様に上代特殊仮名遣いについても使い分けがそのまま当時の母音体系を正確に表したものではないことを指摘した。(/k/は、発音を示す記号)
その上で松本は日本語の母音の変遷について、
1.i, a, u の3母音
2.i, a ~ o, u の4母音
3.i, e, Ï, a, o, u の6母音
4.現在の5母音
のような変遷を辿ったとし、上代日本語の母音体系は現代と同じ5母音であったと結論づけた。
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