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2008年4月 9日 (水)

大化改新…⑬異説(ⅰ)論点の鳥瞰

645年の乙巳のクーデターとそれに続く大化改新については、『日本書紀』の記述についてさまざまな解釈が可能なため、異説も数多い。
クーデターは失敗すればそれまでであるが、成功した場合には、その過程は、クーデターの実行者に都合のいいように修飾される。『日本書紀』の記述もそういう目で見ることが必要なことは当然とも言えよう。

「改新」については次のような点が「謎」として指摘されている(澤田洋太郎『異端から学ぶ古代史 』彩流社(9410))。
①新旧両勢力の間にはどういう対立があったのか。
②クーデターの目的は何であり、何ゆえ武力行使という非常措置をとらなくてはならなかったのか。
③中臣鎌子の正体は何か。
a 首謀者のはずの中大兄皇子が即位せず、軽皇子が孝徳として即位した事情は?
b 改新の詔勅の真偽
④古人大兄皇子の「韓人、鞍作りを殺しつ。わがこころ痛し」の解釈。

これらについて、一般的には次のように理解されている。
①蘇我氏の専横を排除するには暗殺以外の手段はなかった。
②豪族支配から公地公民の中央集権政治の確立が「改新」の目的であった。
③中央集権政治については、唐から帰国した南淵請安・高向玄理らの思想的影響が大きかった。

これらの説明は十分に説得的とは言えないだろう、というのが澤田氏の指摘である。
そこで、次のような理解が生まれてくる。
①クーデターにおいて最大の利益を得たのは、軽皇子(孝徳天皇)である。
②従って、軽皇子がクーデターの黒幕であろう。
③それは、聖徳太子の子の山背大兄皇子が蘇我入鹿と巨勢徳太によって襲撃された事件に、軽皇子が絡んでいたことが『上宮聖徳太子補闕記』に書かれていることからも推測できる。
④巨勢徳太は軽皇子の腹心と思われる。
これは、遠山美都男氏(08年3月23日の項)や中村修也氏(08年3月22の項)の説として既に紹介した。

「改新」の実体について、澤田氏は、次のように指摘する。
一般には、豪族支配を打破することによって、「公地公民」の理想を実現することであり、そのために当時の革新勢力が断行した政治改革とされるが次のような弱点がある。
①蘇我氏は豪族連合の頂点にあったが、屯倉を増設したり、国造の官僚化をはかるなど、中央集権国家建設の路線を歩んでいて、律令制度導入の障害になるような存在ではなかった。
②「改新」によって豪族の支配が除かれたわけでもない。

とすれば、現象面だけでなく、背後にある国際情勢についてみる必要がある。
乙巳のクーデターの4年前に、百済では義慈王が多数の王族、豪族を粛清して独裁権力を確立した。
翌年には、高句麗で、泉蓋蘇文が莫離支(マリキ=軍部大臣)になって独裁権力を確立した。
これら二国から攻撃を受けた新羅は、金春秋を高句麗に派遣して妥協を図ったり、唐に使者を送って事態の打開を図っている。
このような国際情勢の中で、乙巳のクーデターや大化改新は、どう理解されることになるのだろうか。

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