上代特殊仮名遣論争②
松本克己氏の論文は、「母音調和」論にも疑問を投げかけるものであった。岡本健一氏の著書『古代の光―歴史万華鏡 』から引用する。
子音をCで表示し、甲乙の区別を下付きの数字で、i1、i2のように表示する。
左表の「ナダめる-ノドか」「ワカい-ヲコがましい」のように、似ている言葉は、「a-o」の母音交替でできている。
この、「a-o」型の母音交替現象は表のように4つに分類できる。
①CoCoでは、必ずo1
②CuCoでは、必ずo2
③CiCoでは、o1かo2
④CaCo・CoCaの音節構造(aoの共存)はない
つまり、o1とo2は、「音節結合」の型によって棲み分けをしているのであって、「上代特殊仮名遣」におけるオ列の甲・乙は、独立の音韻とは認められない。
この説明は、岡本氏によるものであるが、挙げられている例示によっては、母音交替現象ということが、どうも良く分からないように思う。
母音交替については、辞書的は、次のように説明されている。
一つの語根中の母音が、文法機能や品詞の変化に応じて、音色や長さの違う別の母音と交替すること。インド-ヨーロッパ諸語に特徴的で、英語の tooth(「歯」の単数形)―teeth(複数形)、sing(「歌う」の現在形)―sang(同過去形)―sung(同過去分詞形)などがその例。また、日本語の、フネ―フナ(舟)、シロ―シラ(白)、カルシ―カロシ(軽)などについてもいう。アプラウト。
(http://dictionary.www.infoseek.co.jp/?gr=ml&ii=1&lp=0&qt=%CA%EC%B2%BB&sc=&se=on&sm=1&sv=KO)
表中の「ナド~ナダ」、「ワカ~ヲコ」が、上記の説明の母音交替に該当するのだろうか?
この解説も、正直に言って私には良く分からない。
松本氏は、イ列、エ列についても、母音が2つあったのならば、シ・チ・ニなどの行にも書き分けが見られるはずである。しかし、そうでないのである、それは子音のちがいによるものであって、母音のちがいではない、と説明する。
これについては、その通りだろう、と理解できる。
結局、松本氏の結論は、以下のようなものであった。
奈良時代の日本語も、母音に関する限り、現代と同じ五母音であった。日本語は記録時代に入って以来、一貫して五母音の体系を基本的に維持してきた。
語の環境によってわずかに音声が変わるだけで意味が変わらないとき、「変異音」と呼ぶ。
松本説を言い換えれば、上代特殊仮名遣いの甲・乙の書き分けの差異は、変異音の反映である。
松本氏は、日本語を中国語の表記法(漢字)で写したために、音韻的には意味のない変異音を書き分けた、と説明する。
藤井游惟氏の著書『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い―「日本」を生んだ白村江敗戦その言語学的証拠 』は、上代特殊仮名遣いの甲・乙の書き分けは、「条件異音」を示したものだ、とする。
「条件異音」とは、異音が前後に接続する母音や子音、アクセントなどの「条件」に従って規則的に現れる場合をいう。
例えば、「カンダ(神田)」の「ン」、「マンガ(漫画)」の「ン」、「マンボ」の「ン」、「コンニャク」の「ン」を実際に発音してみよう。
藤井氏の次の説明のように、舌の位置や唇の形を比較してみると、差異があることが分かる。
カンダ:舌先が前歯の裏に付く
マンガ:舌が空中に浮いたまま
マンボ:唇が閉じている
コンニャク:舌がベチョッと口の天井に張り付く
あるいは「木村さんの」、「木村さんが」、「木村さんも」、「木村さんに」などの「ん」の発音は、同じ単語であるにもかかわらず、それぞれ異なっている。
それが、無意識のうちに発音し分けている「条件異音」である。
重要なことは、母語話者は、その発音の差異について、無意識・無自覚であることであり、それを意識するのは、言語的外国人である、ということである。
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