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2008年4月 7日 (月)

大化改新…⑪白雉改元儀の意義

白雉改元は、白い雉を瑞祥として行なわれたものである。『日本書紀』では、大化の次の年号であるが、九州年号では、白雉以前に、「僧要」だとか「常色」などの仏教的なニュアンスの濃い年号が建てられている。
白雉は、いわば初めて瑞祥に基づいた建元ということになる。
九州年号が実際に使用されていたとして、白雉改元はいかなる意味を持つと考えられるか?

これに関して、異端の見解を披瀝しているのが、斎藤忠『失われた日本古代皇帝の謎 』学研M文庫(0803)である。
斎藤氏は、表紙裏の著者紹介欄によれば、古代史とキリストを主たる対象としたジャーナリストということである。 
従って、オーソドックスな学界とは距離を置いた人だと思われる。
私は、日本古代史に関しては、いわゆる通説・定説の類を疑ってかかりたいと思うし、そういう面に関してアマチュアも大いに発言して欲しいと思う。
そういう中で、異端の説を試みることに賛成であるし、妥当性を得ない異端はいずれ淘汰されることになると思う。

斎藤氏の説は、九州王朝説をさらに発展的に捉え、倭国を幕藩体制のような一種の連邦国家とするものである。つまり、多元的国家の存在を認めるものである。
その連邦を構成する国家の1つとして、『隋書』に登場する俀国があり、それは大委国であり、九州王朝が直轄で支配する国であるとする。

孝徳は、孝徳紀の冒頭で、「天万豊日天皇は皇極天皇の同母弟である」とされる以外に系譜に関する説明がない。
この記述の仕方は、天武紀の冒頭における「天淳中原瀛真人天皇は天智天皇の同母弟である」のとそっくりである。
そして、天智-天武の兄弟関係については大いに疑義があるとされている(08年1月26日の項)。
斎藤氏は、天武紀における天智の同母弟とある記述は、天智の同母弟ではなく、九州王朝の君主の弟を指すとしている。
この点は、既に紹介した砂川恵伸氏の見方(08年1月15日)と同一である。

そして、この見方から、斎藤氏は、姉・宝王女の同母弟である孝徳は、九州の皇統の王子ではないか、とする。
そして、『日本書紀』が、郡制の施行を半世紀前に遡らせて記述しているように、そして、九州王朝の年号「大化」がヤマト王権のものとして半世紀遡って移植されたように、改新の業績自体が半世紀遡って孝徳朝の治績として移植されているのではないか。
孝徳朝の改新事業は、もともと九州王朝側のものであって、それが半世紀ほど後に行なわれたヤマト王権側の似た改新事業が移植・融合されているのではないか、とするのである。

斎藤氏は、孝徳が常住するために難波の長柄豊碕宮に入るのは白雉2年12月のことであり、それまで小郡宮や大郡宮などの仮宮で執政していた。
小郡や大郡は筑紫国にもあるが、北九州と畿内には共通の地名は数多くある。
これらの仮宮が畿内のものとは限らない。
そして『万葉集』(巻6・1062~4)にある「やすみしし我が大君(孝徳)のあり通ふ難波の宮は~」の歌について、孝徳はどこから難波の宮に通ったのか、と問う。
斎藤氏は、北九州の首都から難波に通ったのではないか、とする。難波は副都(陪都)だったというのである。

難波長柄豊碕宮の造営開始は白雉元年で、この年に瑞祥にちなむ改元を行なった。
それは、唐の天命に従わないことの表明で、その証拠に、白雉改元後は唐と交わることなく、親唐の新羅を咎めたてる記事がある。

(白雉二年年冬十二月の晦日の条)
この年、新羅の貢調使知万沙飡らは、唐の国の服を着て筑紫に着いた。朝廷では勝手に服制を変えたことを悪(ニク)んで、責めて追い返された。巨勢大臣がそのとき申し上げた。「今新羅を討たれなかったら、きっと後に悔いを残すことになるでしょう。そのやり方は難しくありません。難波津から筑紫の海に至るまで、船をいっぱいに並べて、新羅を呼びつけてその罪をただせば、たやすく出来るでしょう」と。

つまり、孝徳の朝廷は、唐の臣下として振る舞いだした新羅を非難し、その使節を拒むのであるが、瑞祥年号の建元は、唐の天命に対する拒絶宣言であった。
それは、孝徳紀の改元の儀が、日本の正史に類を見ないほどの紙数を割いて記述されている。
そして、「四方の諸の国・郡など、天がゆだね授けられるので、自分がまとめ天下を統治している」と詔している。
それは、天命が自分に下されていることを示したものであって、壮麗な改元の儀は、皇帝登位の儀式だったのである。

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