上代特殊仮名遣論争④
私も、旅行や出張を併せて、数十回は海外に行ったことがある。
その都度、せめて英会話を、特にヒヤリングについてはもう少し勉強しようか、などと思うが、結局その時だけのことに終わってしまう。
現在はムダな努力はしないことにしよう、と思うに至っている。
まったく、中学校以来10年以上は学校で英語を学んでいるのだから、もう少しマシな聴力を身に付けてもいいのではないか、と思う。
しかし、私の言語脳は、既に小学校就学以前に形成されていて、中学校からの学習時間程度ではどうにもならないらしい。
発音については、発音記号というものを教わった。
この発音記号に従えば、万国の言葉を発音できるはずである。しかし、実際の発音は、やはり目で見るのではなく、耳で聴く方が理解が進むことは当然である。
藤井游惟氏の『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い―「日本」を生んだ白村江敗戦その言語学的証拠』には、CDが付いていて、発音を紹介している。
条件異音の概念も、CDを聴いてみると理解が進む。例えば、韓国人は、kとgの区別が難しいらしい。
日本人が「銀行」と発音したのをリピートしているのだが、どうしても「キンコウ」になってしまう。
韓国人にとっては、「銀行」と「近郊」を音で区別できないらしい。
「金さん」「銀さん」の区別も同様である。
一方、韓国語は8母音だというから、日本人が無自覚な母音の差異を聞き分ける。
帰化した百済人が、日本語を8母音として認識した表記が、上代特殊仮名遣いというのは理解し易いだろう。
圧巻なのは、『万葉集』の中で、全文が借音仮名で書かれている歌を、現代朝鮮語漢字音と中国語18ヵ所の方言、日本語の呉音、漢音で発言した実験を収録した部分である。
取り上げられているのは、例えば以下の歌である。
余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須麻須 加奈之可利家理(巻5-793)
世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり
これが例えば「呉音」では次のように発音される。
ヨノウナカハ ムナシキモナィト シルトゥキシ イヨヨマスマス カナシカリケリ
「漢音」では次のようになる。
ヨドゥダィカハ ボゥダィシキボゥダィトゥ シリュウトゥキシ イヨヨバシュバシュ カダィシカリカリ
CDを再生してみると、各音の違いがはっきり分かる。
日本語として一番自然なのは、日本語の「呉音」である。まあ、日本語だから当たり前というとも思うが、日本語の「漢音」は全く日本語らしくない。
「呉音」の次に日本語に近いのは朝鮮音である。
『三国志』でおなじみの「呉」は中国の南の部分である。CDに収録されている中国の方言では、南京、蘇州、上海などが相当する。
しかし、これらの方言で読んだものは、決して日本語らしく聞こえない。
藤井氏によれば、日本で「呉音」とされている音は、古代の呉地方の方言模倣だという考えは間違いで、原型は、百済人たちの「朝鮮音(百済音)」なのだという。
そして、その朝鮮音のもとは、黄海を挟んだ対岸の山東半島地方の方言だとする。
この辺りは、私がゴチャゴチャ紹介するよりも、是非原著にあたり、付属のCDを聞いて欲しいと思う。
「目から鱗が落ちる」というコトワザがあるが、果たして耳からは何が落ちるのであろうか?
奈良時代前半に、上代特殊仮名遣いと呼ばれる現象があった。
それが50年程度経った奈良時代後半頃には、急速に崩れていった。
その急激な変化は何によるものなのか?
藤井氏の説を要約してみよう。
①上代特殊仮名遣いは、条件異音を写したもの
②条件異音を聞き分けられるのは、言語的外国人
③当時の歴史的状況からすれば、それは「白村江帰化人」とでも呼ぶべき百済人
④三世から四世の世代になると、日本語が母語化して、条件異音を聞き分けられなくなる
今後、どのような説が登場するか分からないが、現時点でいえば十分な説得性を持っているといえるのではなかろうか。
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