薬師寺論争…⑩山田寺仏頭
昭和12(1937)年に、解体修理中の興福寺の東金堂本尊の台座下から、大きな仏頭が発見された(写真:『薬師寺』小学館(8303))。この仏頭は、大化5(649)年に、謀反の嫌疑がかけられ自殺を強いられた蘇我倉山田石川麻呂の冥福を祈って、天武13(685)年に開眼された山田寺の丈六仏であるとされている。
この仏頭が、天武13年に開眼の仏像であれば、藤原京の薬師寺と時代が接近してくるので、現金堂三尊が白鳳か天平かという論争に大きな一石を投じることになる。
この山田寺仏頭に関して、発見後間もない時点で、明珍恒男は、これが薬師寺金堂の本尊や東大寺三月堂の本尊等に比べると、一時代先行した様式であることを説いている。
大橋氏の前掲書より、明珍氏の観察を引用する。
眼の切り方もかなり強く、後のものほど軟か味は感ぜられない。鼻先の下方、小鼻へかけての手法など古いやり方で、時代が下れば此辺にもっと写実味が現はれる。鼻下の堅溝即ち人中の両方に稜のあるものも古く、後にはこの角を落して圓くする様になる。唇の肉取りも三月堂の本尊と比べると、かなりかたいのがよくわかる。殊に耳の形の上方に描いている圓の形、下に垂れた耳朶に稜のある辺など、白鳳時代の特色と思はれる。全体として天平盛期のものの様な軟か味が感じられない。
また、町田甲一氏は、『薬師寺は白鳳か、天平か』(和歌森太郎編『日本史の争点』毎日新聞社(6312)所収)において、山田寺仏頭との関連で、次のように述べている。
山田寺講堂の本尊は、天武天皇の十三年(六八五)の開眼である。ここに、製作時期の明らかな白鳳仏の貴重な作例をもつことができたわけである。
飛鳥仏にくらべると、白鳳の仏像は、顔も肉体も丸く、やわらかな肉づけになっている。衣のひだも、飛鳥時代のものにくらべて、はるかにやわらかくリアルになっており、衣と中につつまれた肉体との関係も、かなり有機的にリアルになっている。
作家の目が、いわば触覚のようにはたらいて、対象の立体感や、肉体の表面の複雑な起伏凹凸をとらえ、これをリアルに再現することが、飛鳥時代にくらべて格段の進歩をみせている。
しかし、その点も、天平時代のものにくらべれば、まだ十分でない感じがある。天平時代の仏像の衣は、全く本物のように、やわらかく彫り出されている。肉体の表現も完ぺきである。
細かい点についていえば、白鳳の仏では、眼は上瞼が弧を描き、下瞼がほぼ直線をなしているが、天平の仏像では、むしろ上瞼が直線に近く、下瞼がゆるく大きく波打っている。白鳳仏では、鼻の外側がかたい面をなし、これがほおの面と接するところに、強い線をあらわしており、また、鼻筋の線が強い直線をなして、眉の線につながっているが、天平時代のものでは、すべてがやわらかく、丸味をもってあらわされている。
鼻も白鳳仏では、小鼻が幅狭く上下に長く、鼻の穴のある面が、多くの場合かたい平面をなしている。その点でも天平仏は、やわらかく豊かな鼻である。また顔の感じは、白鳳仏は童顔で、天平仏は成人の完成された相好を示している。
上記のような認識をもとに、町田氏は、和銅4(711)年に作られた法隆寺五重塔の塑造の文殊菩薩が明らかに天平的な古典的様式を示しており、薬師寺金堂三尊はこれに続くものであって、山田寺仏頭を初めとする白鳳仏-東院堂聖観音-蟹満寺釈迦像-薬師寺金堂三尊、という様式発展史的な序列はくずしえない、としている。
様式論は、鑑識眼に多く依存するものであり、私などからすると、どうも定性的で厳密な判別がどこまで可能なのか、という気はするが、そこは専門家に委ねるしかないのだろう。
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