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2008年3月 8日 (土)

薬師寺論争…⑯唐の影響(ⅱ)

鈴木氏は、移坐説について、次のように言う。
明治年間に、非移坐説を唱えた関野貞は、以下を論拠とした。
①すべてが豊満優美なこと
②衣紋の曲線が流麗であること
③しかもその基底には優れた写実があること
④技工円熟せること
⑤白鳳仏のごとき古拙や生硬なところが全然ないこと
上記のように完全に天平の特色を備えている以上、持統11年などの白鳳時代に制作されたものではなく、養老2年西ノ京移転に際して、西ノ京で新鋳されたものである。

これに対し、金堂本尊の台座が、装飾図案の上からみて、約58センチ切り詰められていることが、田村吉永の研究によって明らかになった。
この寸法は、金堂内陣の大理石の基壇の高さに等しく、元来置かれていた本薬師寺の金堂には土壇がなく、床の上に置かれていたものが、西ノ京では高さ約58センチの土壇ができて、その分だけ台座を切り詰めたものであろう。
つまり、移坐を裏付けるものである。

2_10アーネスト・フェノロサが「此等は恐らく世界のもっとも秀美なる立銅像なるべし」と絶賛したのは、薬師三尊の本尊ではなく、脇侍であった(写真は月光菩薩像:『薬師寺』小学館(8303))。
類例の一つは、中国長安宝慶寺の十一面観音像の浮彫であるが、薬師寺像に比べるとやや生硬である。
長安宝慶寺は、儀鳳2(677)年の建立で、持統11(697)年よりも、20年早い。
類例のもう一つは、ファラデルフィア大学博物館の石造菩薩立像で、日光・月光像よりも派手で時代が下がると見られる。
この像には、神竜2(708)年の銘がある。

つまり、金堂薬師三尊は、当時の唐の最新の様式を持ったもので、宝慶寺観音と同系統の第一級の工人が渡来して、日本で作ったものと想定される。
それが、白鳳時代に作られながら、天平様式を持つことになった理由である。
聖観音像には、日光・月光像の胸部にみえる左右の乳を表す境界線がないし、顔面においても日光・月光像にみえる眼瞼や小鼻の線もない。
両者を比べると、金堂脇侍は、聖観音の形式化で、聖観音は日本で金堂三尊を制作する時の手本として運ばれてきたものであろう。

中国で、金堂三尊や聖観音類似の作例が、宝慶寺観音や神竜銘菩薩像の仏像が見出されないのは、唐の武宗の会昌5(845)年に、大規模な廃仏が行われたためである。
寺院を廃すること4600余箇所、僧院を廃すること4万余箇所、僧尼の還俗26万5百人という規模だったという。
青銅仏は、ことごとく貨幣に改鋳されたため、唐代の金銀銅鉄仏像は残っていない。

2_11平城薬師寺には、金堂の他に、講堂にも三尊像がある。
郡山の付近で土中から掘り出されたものだという。
かつては薬師三尊像として祀られていたが、平成15(2003)年に講堂が落慶したのを機に、本来の弥勒三尊像の名に復した(説明と写真は、『薬師寺(古寺を巡る・8』小学館(0703)。
この三尊像についても、藤原京の本薬師寺からの移坐説、他の寺院の本尊説、金堂の薬師三尊像の模古作説などがある。

鈴木氏は、講堂三尊は金堂三尊の模倣で、技法的に拙劣であるとし、以下のように説明する。
講堂三尊の耳は、金堂三尊に比して著しく短く、耳朶の環状垂下部が角張って小さく、耳殻の凸凹の作りが、山田寺仏頭や法隆寺夢違観音のように、白鳳期のものと同じ形式である。
つまり、講堂三尊の方が古いようにも思えるので、様式論上、白鳳様式とみる説が生まれたのも無理はないが、講堂三尊こそ西ノ京で新鋳されたものである。
藤原京の本尊と比べると余りにも見劣りがするので、埋蔵されてしまい、本薬師寺のの本尊が西ノ京に運ばれた。

鈴木氏の説を要約すると、敗戦後の体制の中で、東院堂聖観音増が唐から運び込まれ、それをモデルに金堂三尊が制作され、本薬師寺に設置された。
そのため、白鳳期であるにも拘わらず、天平像の特徴を備えている。
平城薬師寺への移転に伴い、本薬師寺の金堂三尊を模倣した仏像が作られたが、拙劣だったため埋蔵され、本薬師寺の本尊が移坐された。
ややこしい解釈ではあるが、当時の政治情勢との関連を踏まえ、美術史の枠を超えた発想であるところが興味深い。

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