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2008年3月20日 (木)

天智天皇…⑪乙巳のクーデター

大化改新のきっかけとなった645年の、中大兄や中臣鎌足らによる蘇我入鹿誅滅のクーデターは、『日本書紀』に詳しく記述されている。
山田宗睦訳『日本書紀〈下〉 (原本現代訳) 』教育社新書(9203)によって、その大要を確認してみよう。

(皇極四年)六月八日、中大兄は、ひそかに倉山田石川麻呂に語って、「三韓が調を進(タテマル)る日に、かならず卿にその表を読み唱げさせます」といった。ついに入鹿を斬ろうと欲う謀を陳べた。麻呂臣は許(諾)し奉った。
十二日、天皇が大極殿に〔出〕御した。古人大兄が侍した。中臣鎌子連は、蘇我入鹿臣が、疑い多い性格で、昼夜剣を持っているのを知っていて、俳優をして、たばかって解かせた。
中略
中大兄は、衛門府を戒め、同時に十二の通〔用〕)門を鎖し、往来させなかった。
中略
中大兄は、自分で長槍を執りもって、〔大極〕殿の側に隠れた。
中略
中大兄は、子麻呂らが、入鹿の威にかしこまり、とつおいつ進まないのを見て、「やあ」といいざま、子麻呂と共に、その〔入鹿〕の不意をついて、剣をもって入鹿の頭や肩を傷つけた。入鹿は驚いて立ちあがった。
中略
天皇はたいそう驚いて、中大兄に詔して、「分かりません。〔こんなことを〕するには、なにかあったのですか」といった。中大兄は、地に伏して奏〔言〕し、「鞍作は、皇族を滅し尽して、まさに天皇位を倒そうとしています。どうして天孫を鞍作に代えることができましょうか」といった。
中略
中大兄は、将軍巨勢徳陀臣をして、天地が開闢けた始めから、君臣〔の別〕があったことを、賊党に説かせ、どう赴むかをわからせようとした。
中略
十三日、蘇我臣蝦夷らが誅されるに臨んで、ことごとく天皇記、国記、珍宝を焼いた。船史恵尺は、すばやく焼かれている国記を取って、中大兄に奉献した。
中略
十四日、位を軽皇子〔孝徳〕に譲った。中大兄を立てて皇太子とした。

これらの記述をみれば、乙巳のクーデターが、中大兄主導で行われたと理解せざるを得ない。
『日本書紀』は、そのように記述している。
そして、私たちは、大化改新について、次のような見解を受容してきた。
①大化改新は中央主権国家の樹立を目指した中大兄によって断行された。
②改新後の孝徳政権は中大兄の傀儡政権である。

しかし、『日本書紀』の乙巳の変の記述には不可解なことが多い。
例えば、中村修也『偽りの大化改新 』講談社現代新書(0606)は、次の諸点を指摘している。

①中大兄は身を危険にさらしてまで入鹿殺害をはかったのに、どうして自分が即位しなかったのか。
②蘇我氏が倒されたのに、どうして皇極女帝は退位しなければならなかったのか。
③軽王子はどのような理由で大王に選ばれたのか。
④中大兄は王族なのに、どうして自ら殺害に加わったのか。
⑤蘇我倉山田石川麻呂は、同じ蘇我氏なのにどうして入鹿殺害に加担したのか。
⑥乙巳の変の際、中大兄の弟の大海人王子はなにをしていたのか。

乙巳の変の経過は詳しく記されているものの、その記事内容に多くの疑問や不可解な点があることも事実である。
『日本書紀』の編纂時期と乙巳の変の時期には時間の隔たりがあるから、正確性において問題があることは止むを得ないともいえる。
しかし、それだけ時間の隔たりがあるにしては、個別の出来事に関して、余りに詳しすぎるという気がすることも否定できないだろう。

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