薬師寺論争…⑨様式論(ⅲ)
薬師寺金堂の薬師三尊像を、白鳳像とみるか、天平像とみるか。
明治24(1891)年に、国学者の黒川真頼は、「薬師寺金堂薬師三尊及講堂阿弥陀三尊考」において、薬師三尊が、持統11年開眼で本薬師寺からの移坐、したがって白鳳様式であるとした(大橋一章『法隆寺・薬師寺・東大寺 論争の歩み 』グラフ社(0604))。
これに対し、岡倉天心は、現金堂の薬師三尊を奈良時代初期のものとし、講堂三尊より30年程度おくれるもの、つまり講堂三尊は白鳳様式、金堂三尊は天平様式とした。
建築史家の関野貞は、明治34(1901)年「薬師寺金堂及講堂の薬師三尊の製作年代を論ず」と題する論文で、文献と様式の両面から検討し、金堂三尊を天平様式とした。
関野は、仏教伝来から平安遷都までの美術史について、次のような時代区分を設定した。
①天智時代は天平時代とあまり相違がないので、これを一時代として推古時代に対して寧楽時代とする。
②寧楽時代を様式により、前期・本期、もしくは白鳳期・天平期と分ける
そして、白鳳期は、前時代の形式を離脱せず、手法的に円熟に至らず、勁健の精神が内に満ちて外貌は生硬であり、天平期は、形式手法が優美円満であるとした。
金堂三尊は、「耳目鼻口の形状よく筋肉の肥痩に至るまで総て写生的にして精巧充実の妙を尽し」、「相貌は豊満優美にして写生の妙を極め衣紋の豊線は流麗穏健にして技工の円熟毫も生硬の点を見ざる」と説いた。
本尊の美術史上の位置づけは、法隆寺壁画・橘夫人念持仏・長谷寺法華説相板等の前後に置くよりは、法隆寺五重塔塑像の後、東大寺法華堂や新薬師寺の諸仏像よりは大分前に置くべきである。
つまり、様式的にみて、現金堂三尊は平城で新鋳され、現講堂三尊は白鳳のものと結論した。
この関野の様式論は、彫刻史において、白鳳様式と天平様式との差異を明確にしたものであった。
大正年間になると、白鳳説も様式論を取り入れることになる。
土田杏村は、大正8(1919)年の『薬師三尊論』で、薬師三尊がきわめて写実的で、それはグプタ式の現れであり、それは白鳳期のものに限られると主張した。
しかし、グプタの影響を受けた写実的な作品が、どうして白鳳期のものに限られるのか、明確な説明はない。
昭和7(1932)年には、内藤藤一郎が、『法隆寺壁畫の研究』において、法隆寺壁画と仏像彫刻との様式比較を試みている。
薬師寺の聖観音・金堂本尊はほぼ同時期の養老頃の作品で、法隆寺壁画もこれと接近する時期としている。
そして、聖観音と様式手法が同一系統に属するものとして、金堂三尊の脇侍、ペンシルバニア大学博物館の神龍2(706)年の観音像をあげ、比較検討のうえ、聖観音像は神龍2年像に先行するとする。
昭和8(1933)年には、足立康が、『薬師寺金堂三尊の製作年代』を発表し、原金堂本尊を天平のものとした(天平新鋳説)。
足立は、藤原薬師寺は平安時代にも堂塔が存在し、とすれば仏像等も堂宇の中に残されていたとみるのが自然で、平城薬師寺の堂塔・仏像は、すべて養老2年以降の新造だとする(講堂本尊を除く)。
足立は、金堂本尊の制作年代の上限は、平城薬師寺造営が養老2年以後であるから、これを遡らず、完成したのは、『続日本紀』の神亀3年条に、「八月癸丑、奉為太上天皇、造寫釋迦像並法華経訖。仍於薬師寺齋焉」とあるから、この頃には金堂と本尊はできていたはずだとする。
明治から昭和初期に至る金堂本尊の制作年代をめぐる論争について、大橋氏は以下のように総括する(前掲書)。
①文献的には、白鳳説も天平説も互いの根拠に対して批判反論を加えている。白鳳説の文献的裏付けは平安後期を遡らず、天平説の史料は近世を遡らない。
②つまり、文献的には、両説とも同時代史料に欠けるという点で五十歩百歩である。
③様式論的には、天平説が、7、8世紀の様式展開を踏まえているのに対し、白鳳説は、土田杏村を除いて様式論を展開していない。土田の白鳳説は、天平説を正面に据えての議論でないため、天平説の優位が揺るがない。
しかし、明治末から昭和初期においては、白鳳説の方が多く支持されていた。
大正8(1919)年の和辻哲郎『古寺巡礼』、昭和4(1929)年の『日本國寶全集』、昭和8(1933)年の『薬師寺大鏡』などは、いずれも白鳳説(持統11年説)をとっていた。
大橋氏は、これは厳密な史料批判が行われることのない時代で、寺伝と文献をそのまま受け入れた結果として、白鳳説が優勢となった、としている。
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