天智天皇…⑮乙巳のクーデター(ⅴ)
砂川恵伸『天武天皇と九州王朝―古事記・日本書記に使用された暦』新泉社(0612)も、蘇我入鹿誅滅事件に言及している。
砂川氏の立場は、基本的に九州王朝説であり、天智・天武非兄弟説であるから、その解釈はもちろん通説とは全く隔たりがある。
砂川氏は、以下のように想定している。
乙巳のクーデターの起きた645年には、九州王朝はまだ健在であり、大海人皇子は九州にいた。従って、このクーデターには、大海人皇子はまったく関係していない。
クーデターの後、天皇位は、皇極から同母弟の軽皇子(孝徳)に移った。
中大兄の異母兄弟の古人大兄皇子は、入鹿暗殺シーンには登場するが、暗殺計画には参画していない。
事件のあと、次のように人に語ったことは既に述べた。
韓人、鞍作臣を殺しつ(韓政に因りて誅せらるるを謂ふ)。吾が心痛し
「吾が心痛し」という言葉から明らかなように、古人大兄皇子と蘇我入鹿は仲間である。『日本書紀』には、入鹿による古人大兄擁立計画があり、そのために山背大兄王を討滅した、という記述がある。
その際の、古人大兄の「鼠は穴に伏れて生き、穴を失ひて死ぬ」という言葉について、砂川氏は、鼠は山背大兄のことを指している、と断定している。
通説・定説では、「鼠は入鹿をたとえたもの」(08年3月19日の項)と解しているのであるが、この解釈は不自然である。
砂川氏は、生駒山に潜んでいた山背大兄王を指して、「穴(本拠の斑鳩)を失ったから放っておいても滅びる」と言っているとしているが、同感である。
砂川氏は、『日本書紀』の、中臣鎌足が軽皇子に接近する部分の説話も、前後の記述からみて、文脈的に不自然だし、不必要ではないか、とする。
それでは、この説話は、どのような意図で置かれているのだろうか?
鎌足の「皇子が天下の王とおなりになることを、誰もはばむ者はないだろう」という言葉は、中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼすために行動を共にすることのできる人物は、軽皇子だと考えていた、という砂川氏の指摘にも同感する。
しかし、『日本書紀』の記述は、軽皇子は入鹿誅滅事件に軽皇子が参加していないかのようである。襲撃事件の記述に軽皇子の名前は登場しない。
孝徳即位前紀に、次の記述がある。
天万豊日天皇(孝徳)は、天豊財重日足姫天皇(皇極)の同母弟なり。仏法を尊び、神道を軽りたまふ。(生国魂社の樹を斮りたまふ類、是なり。)人と為り、柔仁ましまして儒を好みたまふ。
この儒は、学者のこととされ、大化改新に学者を多く用いたことを指す、と解されている。しかし、文字通り儒教の意と理解してもいいだろう。
砂川氏は、儒教思想においては、天子の位は徳の結果としてあるのであって、暗殺の結果としてあるのではないから、儒教思想を踏まえた『日本書紀』の記述においては、入鹿暗殺の首謀者として軽皇子の名前を消してあるのだろう、と推測している。
孝徳は即位後、短時日の間に次々と施策を打ち出しており、そのことは、孝徳が即位前から考えていた施策を実行したことを示している。
砂川説においても、乙巳のクーデターは、軽皇子のイニシアティブによって遂行された、ということになる。
中村修也『偽りの大化改新 』講談社現代新書(0606)に掲げられている以下の疑問点は、軽皇子主導説、大海人皇子九州王朝皇子説で、すべて説明できる。
①中大兄は身を危険にさらしてまで入鹿殺害をはかったのに、どうして自分が即位しなかったのか。
②蘇我氏が倒されたのに、どうして皇極女帝は退位しなければならなかったのか。
③軽王子はどのような理由で大王に選ばれたのか。
④中大兄は王族なのに、どうして自ら殺害に加わったのか。
⑤蘇我倉山田石川麻呂は、同じ蘇我氏なのにどうして入鹿殺害に加担したのか。
⑥乙巳の変の際、中大兄の弟の大海人王子はなにをしていたのか。
①~④は、軽皇子が主導者で、中大兄は実行者の一人だったとすれば、問題ない。
⑤も、軽皇子の妃の一人が石川麻呂の娘であることから納得できる。
⑥は、大海人は九州に居たので、登場しないのは当たり前である。
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