天智天皇…⑬乙巳のクーデター(ⅲ)
中村修也『偽りの大化改新 』講談社現代新書(0606)は、乙巳のクーデターの舞台となった「三韓進調」自身が、『日本書紀』編者の創作ではないか、とする。入鹿殺害が「三韓進調」の儀式の場で行われたというのが、虚偽ではないか。
もしそうなら、入鹿が俳優(ワザオギ)に刀剣を預けたとか、蘇我倉山田石川麻呂が上表文を読み上げたとか、中大兄王子が斬りかかったなどという記事も疑ってかかる必要がある、と。
中村氏は、仮に「三韓進調」の儀式が行われていたとしても、東アジアの情勢が緊迫している中で、外国使節の眼前でクーデターを起こすだろうかと疑問を呈する。
クーデターは必ず成功するとは限らない。中大兄らの意図が、中央集権化をめざすことにあったのならば、自国の恥をさらすような愚はしなかったのではなかろうか。
「三韓進調」の儀式が中大兄や中臣鎌足らによる偽りの儀式だったとするならば、朝鮮事情に詳しいはずの蘇我氏が、偽の儀式に不審を抱かずに出席するということが想定しにくい。
儀式が実際に催されるとするならば、その儀式は入鹿が携わるものであり、中大兄や鎌足が関与する可能性はない。
とすると、入鹿が「三韓進調」の儀式の場で行われたという『日本書紀』の記述は疑わしいのではないか。
乙巳のクーデーターの設定は、馬子の崇峻殺害のシーンに似ている。崇峻は、東国からの調が届いたために開かれた儀式の場で行われた。
進調の場がクーデターの舞台として設定される、という点において、崇峻殺害と入鹿殺害は同様の構図であるといえる。
『日本書紀』の記述の流れは、入鹿の警護が厳重だったため、入鹿をおびき出すために「三韓進調」の場という場が必要だった、ということになるが、蘇我氏が警護を厳重にする必然性も薄いのではないか。
中村氏は、皇極の退位も不自然であるとする。
蘇我氏の専横を排することが目的であったのならば、入鹿・蝦夷の死で達成されたことになる。とすれば、皇極が退位したのはどうしてか?
皇極が退位し、孝徳が即位する。その孝徳の後に、皇極が重祚する。
皇極退位の理由としては、次の2つが考えられる。
A 皇極と蘇我氏が一体化していたので、イメージを払拭するため
B クーデターの目標に、皇極の退位が含まれていた
皇極が重祚していることを考えれば、「A」は成り立ちにくい、と中村氏は指摘する。ポスト孝徳としては、中大兄も大海人もいるのであるから、皇極が重祚する必然性がない。
「B」も、中大兄がクーデターの主導権を持っていたのならば、母親を排除する理由がない。
上記を考慮すると、クーデターの主役が中大兄である、という従来の通説は成り立たない。
とすれば、主役は誰だったのか?
舒明崩御時点の大王位後継候補者は、山背大兄、古人大兄、中大兄、軽王子であった。この中で、山背大兄はすでに亡くなっている。
古人大兄と軽王子のうちのいずれか?
古人大兄は、蝦夷・入鹿親子の支持を拠り所にしていたのだから、入鹿誅滅の主役たり得ない。
とすると、乙巳のクーデターの主役は、軽王子以外には考えられないことになる。
実際に、軽王子をクーデターの謎の多くが解消する。
皇極の退位は、軽王子による大王位の簒奪と考えれば疑問は消える。
古人大兄の「韓人が、鞍作臣を殺した」という言葉に付されている「謂因韓政而誅」は、東アジア情勢に対するスタンスで対立があり、その結果の凶行だと考えれば、辻褄が合う。
入鹿と軽王子の間に、考え方の大きな差異があった。
孝徳朝で、僧旻が重用されていることからすれば、おそらく軽王子は親唐路線だった。
一方、入鹿は、朝鮮半島を唐の脅威から守ることが重要だと考えており、親高句麗・百済路線だった。
唐は、643年に新羅が唐に援軍を求めたときに、新羅の善徳女王を廃することを忠告していることからも、女帝を認めていない。
軽王子が親唐路線だったとすれば、皇極を廃することも当然のことである。
軽王子が、東アジア情勢に強い関心を持っていたことは、中国や朝鮮との関係を深めるのに好適な難波に遷都したことからも理解できる。
軽王子は、古人大兄の支持者の入鹿を殺害することで古人大兄の即位の可能性を排除し、皇極を退位させることで、中大兄の即位の可能性を排除することによって、自ら大王位に就いた。
つまり、乙巳のクーデターは、軽王子のイニシアティブによって行われたものである。
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