薬師寺論争…⑪山田寺仏頭(ⅱ)
白鳳様式についてはさまざまな議論があるが、興福寺に伝わる旧山田寺の仏頭を白鳳彫刻の名品とする見解は多い。山田寺は、飛鳥から桜井へ通ずる山田道にあった寺で、古くから塼仏や古瓦が出土していた。
発掘調査の結果、塔・金堂を南北に配し、回廊で囲んで、その北方に講堂を配した伽藍配置であることが判明した(『薬師寺/名宝日本の美術6』小学館(8303))。
山田寺は、「大化改新」で大きな役割を果たした蘇我倉山田石川麻呂が、造営した寺である。
石川麻呂は、蘇我日向の讒言によって、金堂で無念の死を遂げた。
『日本書紀』の大化5(649)年3月条に次のように記されている。
戊辰(24日)に、蘇我臣日向(字は身刺)、倉山田大臣を皇太子に讒ぢて曰さく、「僕(ヤツガレ)が異母兄麻呂、皇太子の海浜に遊びませるを伺ひて、害(ソコナ)はむとす。反(ソム)きまつらむこと、其れ久しからじ」とまうす。皇太子、信(ウ)けたふ。天皇、大伴狛連・三国麻呂公・穂積噛臣を蘇我倉山田麻呂大臣の所に使して、反くことの虚実を問ふ。大臣答へて曰さく、「問はせたまふ報は、僕面天皇之所に陳さむ」とまうす。天皇、更三国麻呂・穂積噛臣を遣して、其の反く状を審にす。麻呂大臣、亦前の如く答へまうす。天皇、乃ち軍を興して、大臣の宅を囲まむとす。
中略
大臣、仍りて山田寺の衆僧及び長子の輿志と、数十人とに陳説ひて曰はく、「夫れ人の臣たる者、安ぞ君に逆ふることを構へむ。何ぞ父に孝ふことを失はむ。凡そ、此の伽藍は、元より自身の故に造れるに非ず。天皇の奉為に誓ひて作れるなり。今我身刺に讒じられて、横に誅されむことを恐る。聊に望はくは、黄泉にも尚忠しきことを懐きて退らむ。寺に来つる所以は、終の時を易からしめむとなり」といふ。言ひ畢りて、仏殿の戸を開きて、仰ぎて誓を発てて曰はく、「願はくは我、生生世世に、君主を怨みじ」といふ。誓ひ訖りて、自ら経きて死せぬ。妻子の死ぬるに殉ふ者八。
石川麻呂とその家族の死によって、山田寺の造営は中絶した。
「壬申の乱」(672年)のあと、天武2(673)年から、塔をはじめ講堂などの工事が再開された。
山田寺の造営史は、『上宮聖徳法王帝説』の裏書に詳しいが、第二次造営は、鸕野皇后の意志が関っていたと推測される(松山鉄夫『薬師寺金堂薬師三尊像の制作年代について』(上掲書所収)。
鸕野皇后の母の遠智娘は、石川麻呂の娘であり、祖父と母の追善の気持ちが、山田寺の造営の再開に作用したのではないか、ということである。
『上宮聖徳法王帝説』は、山田寺の丈六の仏像の造顕について、次のように記している。
戊寅(678年)十二月四日、丈六仏像を鋳る。乙酉(685年)三月廿五日、仏眼を点ず。
つまり、天武7年に丈六仏像の鋳造を開始し、7年後に完成して開眼したということである。
造顕の年次が明確に記されていることから、彫刻史の位置関係を検討する座標軸とされる。
三月廿五日は、石川麻呂の祥月命日であり、その追善を意図したものであることが窺われる。
松山氏は、上記論文の中で、この丈六仏像の造顕は、第二次造営と同じように、朝廷の主導で行われたものであるとする。
丈六仏像を鋳銅で作るのは、当時の技術水準ではなみたいていの仕事ではなく、朝廷直属の工人群、つまり官営工房であったとみる。
久野健氏が、蘇我氏に従っていた工人たち、つまり在野の仏師が造像したとする見解を否定するものである。
この見解は、大橋一章氏も同様の見方を示している(『法隆寺・薬師寺・東大寺 論争の歩み 』グラフ社(0604))。
金銅丈六仏像を作り得るのは、官営の大寺か官の特別な保護を受けた寺のみであったのであり、山田寺の金銅丈六仏像も、鸕野皇后の意向を受けた天武朝廷が実質的な施主であった。
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