薬師寺論争…③略年表
白鳳時代における薬師寺関係の略年表を見てみよう(出典:『薬師寺/名宝日本の美術6』小学館(8303))。
天武09(680)年 庚辰 11・12天武天皇、薬師寺建立を発願する(書紀、東塔檫銘、扶桑略記、縁起)
天武11(682)年 壬午 天武天皇、皇后のために薬師寺をつくる(僧綱補任抄出、七大寺年表)
朱鳥01(686)年 丙戌 9・9天武天皇崩ずる(書紀)。この頃本尊の薬師金銅像の鍍金未だ畢らずという(東塔檫銘)
朱鳥01(686)年 丙戌 12・19天武天皇のために、無遮大会を大官・飛鳥・川原・小懇田豊浦・坂田に設く(書紀)
持統02(689)年 戊子 1・8薬師寺に無遮大会を設く(書紀)
持統06(692)年 壬申 4・10持統天皇、故天武天皇のために薬師寺講堂の阿弥陀仏繍帳を造る(縁起)
持統11(697)年 丁酉 6・26持統天皇の病気平癒のため公卿百寮所願の仏像を造り、7・29薬師寺において開眼供養(書紀)
文武02(698)年 戊戌 10・4薬師寺の構作はほぼ畢り、衆僧を住せしむ(縁起)
11・15薬師寺講堂阿弥陀仏繍帳の開眼講師賞として僧道昭を大僧都に任ず(僧綱補任抄出、七大寺年表)
大宝01(701)年 辛丑 6・11波多朝臣牟胡閇と許曾倍朝臣陽麻呂とを造薬師寺司に任ず(続紀)
7・27太政官処分により造大安・薬師ニ寺官を寮に准じ、造塔丈六ニ官を司に准ず(続紀)
大宝02(702)年 壬寅 12・22持統太上天皇没(続紀)
大宝03(703)年 癸卯 1・5故持統上皇のために大官・薬師・元興・川原の四大寺に設斎し、2・17その七七忌に大般若経を読ましむ(続紀)
上記の年表をもとに、薬師寺金堂の本尊像の造立年代について考えてみよう。
持統11年6月と7月の、造仏と開眼に関する記事は、従来、金堂本尊に関するものとして解釈するのが一般的であった。
7月記事の2日後に、持統は孫の軽皇子(文武天皇)に譲位していることを併せ考えれば、「所願の仏像」とは、持統にとって最も大事な薬師寺本尊像を指しているに違いない、と考えられてきたわけである。
つまり、天武発願の薬師像を開眼することができたので、それを機に譲位した、とするのである。
ここで問題は、二つある。
①薬師寺の本尊の発願者は、天武天皇であって、「公卿百寮」ではない。
②丈六の金銅三尊像をひと月余りで完成させることは不可能である。
とすれば、持統11年の条に出てくる「仏像」は、薬師寺の仏像であるにしても、金堂本草像ではないのではないか。
とすると、金堂本尊像は、いつ完成したのか?
持統2年の「無遮大会」の記事をどう理解するか?
無遮大会とは、国王が施主となり、僧俗貴賎上下の区別なく供養布施する大規模な法会のことである。
当時においても、特例的な仏教法事であったと考えられる。
このような大法会が行われたとすれば、この時点で、既に薬師寺の根幹部分、つまり金堂とその本尊は出来上がっていたと考えるのが自然である。
一方、朱鳥元年には無遮大会を、5寺で行ったとするが、その中に薬師寺は入っていない。
つまり、この時点(天武の百日忌)では、薬師寺は、無遮大会を行えるような状態ではなかった、ということである。
それから13ヶ月後の持統2年正月には、無遮大会を行えるように造営が進んだ、と考えることができる。
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