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2008年2月15日 (金)

天武天皇の出自…大芝英雄説

天武天皇(大海人皇子)を、九州王朝の皇子であったとした砂川恵伸氏の説(『天武天皇と九州王朝―古事記・日本書記に使用された暦』 新泉社(0612)は、日本古代史のアポリアに1つの解決の道を示すものと思う。
ところで、「天武天皇は九州王朝の出自である」とする説を、砂川氏よりもずっと早く提唱していた人がいたことを知った。
市民の古代・第11集」新泉社(8910)に収録されている大芝英雄『多元説を以て「天武天皇の出自」を説く』という論文である。

大芝氏は、天武天皇の出自を『日本書紀』の編述者の意志をどう読み取るか、という観点から考察する。

(孝徳紀白雉四年)
是歳、太子、、奏請して曰さく、「冀はくは倭の京に遷らむ」とまうす。天皇、許したまはず。皇太子、乃ち皇祖母尊・間人皇后を奉り、併て皇弟等を率て、往きて倭飛鳥河辺行宮に居します。

(孝徳紀白雉五年)
冬十月の癸卯の朔に、皇太子、天皇病疾したまふと聞きて、乃ち皇祖母尊・間人皇后を奉りて、併て皇弟・公卿等を率て、難波宮に赴く。

上記の孝徳紀における「皇弟」は誰を指すのか?
孝徳には、系譜上弟はいない。皇太子(中大兄)の弟とするには、孝徳紀であるからして無理がある。
皇太子の弟については、『日本書紀』の中に、「弟王」と記述されている例がある。つまり、「皇弟」と「弟王」とが区別されて使用されている。
大海人皇子は、『日本書紀』においては、孝徳の甥とされているから、「皇弟」が大海人であるとすることは容認できない。

大芝氏は、上記の問題を解決するためには、「もう一人の天皇」の存在を想定し、その「皇弟」と考える以外に、『日本書紀』編述者の意志を満足させることはできない、とする。
つまりは多元的な王朝の存在である。
『旧唐書』には、「日本は倭国の地を併す以前は小国であった」と、倭国と日本国とが別の国として記されている。

孝徳紀における「皇弟」は、『旧唐書』の「倭国の天皇の皇弟」に比定する以外に方法がない。
この「皇弟」は、天智紀においては、「大皇弟・東宮太皇弟」と表記されている。
この変化は、孝徳紀と天智紀の間、すなわち斉明の時代に、九州の倭国の天皇が崩御したことを示している。
崩御または退位した天皇を「太上皇・太上天皇・大行天皇」と称号する。先の皇后は「太后」である。
つまり、先の天皇の皇弟は「太皇弟」である。太と大は同義であるから、大皇弟も同じである。

孝徳紀の皇弟、天智紀の大皇弟は、九州倭王朝の人物として想定するのが論理的な道筋である。
そして、文脈上からして、それは大海人皇子のことである。
天武紀下における「后・妃」について、『日本書紀』の編述者は、二つの群に分けている(08年1月17日の項)。
第一群は、天智の皇女四人・鎌足臣の娘二人・蘇我臣の娘一人であり、第二群は、鏡王の姫一人・胸形君の娘一人・宍人臣の娘一人である。
第二群に、「天皇初め……」とあるから、こちらが先で、九州王朝に居たときの妃であると想定される。

天智が四人の娘、鎌足が二人の娘を皇弟に差し出してまで、関係強化を望んだのは異常であるが、それだけ大和朝において、「九州倭国皇弟」が「絶大な評価を得ていた」ことを示している。
この「絶大な評価」は壬申紀における以下の表現と相応している。
①大皇弟が吉野に至る時「虎に翼を着けて放てり」
②近江朝、大皇弟の東国入りを聞きて「群臣悉く愕ぢ京の内さわぐ。或は遁れて東国に入らんとす。或は退きて山沢に匿れむとす」

大皇弟は、全国の豪族が敬仰し従属した九州王朝の皇弟であった。
白村江敗戦後の倭国の衰退を見た天智は、九州倭王の実権を過小評価し、大皇弟を軽視するに至ったが、倭王の権威と信望は、まだ残存していたことを、近江朝の廷臣や『日本書紀』の編述者は熟知していた。
上記①、②は、大皇弟に大軍が糾合し、近江朝が孤立することを予想した表現である。

『万葉集』の次の歌は、藤原京の造営に関わるものと考えられる(08年1月4日の項)。

4260 大君は神にしませば赤駒のはらばふ田居を京師となしつ
4261 
大君は神にしませば水鳥のすだく水沼を皇都となしつ

新宮都に、飛鳥人は、従来の天皇、従来の宮都とは異なる威光を見た。
それは、大和を九州と同じ倭と称して、「都」とした感慨であり、大皇弟の権威を暗に表現したものである。
大芝氏は、上記の論を「天武九州皇弟説」としている。
砂川氏は、版元からして、大芝氏の上記論文は参照しているのであろうが、独立の推論であって、互いに補強し合うものと考えられる。

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