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2008年2月17日 (日)

判読と解読

「KY」というローマ字も、「袖布流」という漢字も、文字である(08年2月14日の項)。
文字は、第二信号を表現し、定着させるための最も重要な記号である。
われわれは、「KY」というローマ字を、「IT」や「JK」というローマ字とは異なる信号として認識する。それは、KやIやJやTという文字を識別できるからである。
同じように、「袖布流」という漢字を、「茜草指」や「野守者」や「不見哉」という漢字とは異なる信号として認識する。
しかし、誰もがこのような識別が可能だ、という訳ではない。
われわれは、学習の結果として、KとYの違い、茜と草の違いを認識できるようになったのであって、三歳児の頃には、KもYも同じように見えただろうし、茜と草も同じように見えたに違いない。

このように、文字の違いを認識する、というのは後天的に獲得した一種のスキルである。
もちろん、文字の違いの認識のスキルには、レベルの差がある。
そして、その文字の意味する内容についての理解にも、レベルの差がある。
漢字検定などは、漢字という文字の違い・その文字の違いの意味する違いを認識するスキルのレベルを判定するものであろう。
われわれは、「KY」と「JK」の文字の違いは、容易に判断することができる。
しかし、KY式日本語に馴染んでいないものには、「KY」と「JK」の意味の違いが分かるとは限らない。

「袖布流」も同じである。
そして、「袖布流」を「袖を振る」という意味だと理解しても、さらにその「袖を振る」という行為の意味が問題になる。
単に、「ここにいるよ」という合図なのか、「求愛」の合図なのか?
ことが、額田王に対しての大海人皇子(天武)の行為と想定されるので、天智天皇との関係も含め、「袖振る」の意味の理解は、歴史解釈としても重要である。
ここでは、「袖振る」が一種の記号として作用しているわけである。

つまり、文字の理解には、文字そのものの識別と、その文字の表している内容の識別の二段階があることになる。
そして、文字の表している内容については、さらにその背景の意味をどう捉えるか、ということが問題になる。
長屋王邸宅跡とされる場所から、「長屋親王王宮大鰒十編」と読むことができる木簡が出土すれば、普通は、長屋王という人物が、長屋親王と呼ばれていたのではないか、と考えるだろう(08年2月7日の項)。
そして、親王と呼ばれた人物の父親の位置づけは、どう考えるべきか、と思考が進展する。
ところが、史学会では、そういう考えが大勢にならないというのだから、不思議である。

印刷してある文字は、文字そのものの識別は比較的容易である。
茜と草は、印刷してあればもちろん、違いがあることは分かる。
しかし、達筆もしくは悪筆の場合は、茜と草の識別が難しくなるかも知れない。
古文書の読解などの場合、先ずは文字の識別に苦戦することになる。

私も、少しだけ古文書を解読する会の仲間に入れてもらったことがある。
その時の体験では、先ず、文字そのものが理解できないのである。
漢字なのか仮名なのか、あるいは一文字なのか二文字なのかが判然としない。
よく、小学校に入学したての頃のことを、「右も左も分からない頃」などと回想することがある。
古文書の読解においては、本当に、右と左の区別がつき難いのである。

2実際の例で示せば図のようなものである。
共に人名であるが、左は神「左」衛門、右は助「右」衛門である。
直接比べて見れば、左と右の違いはかなりあるようにも見える。
しかし、それぞれが独立して出てくる場合には、それが右なのか左なのか、簡単には区別がつかない。
それは、私のような初心者においては特にそうなのだけれど、かなりの専門家でも時に間違うことがあるということもある。

文字の区別がつけば、辞書を引くことが可能なのであるが、文字そのものが分からないのだから、辞書を引くことすらできない。
どういう文字であるのかを識別する段階を「判読」、その文字がどういう意味であるのかを識別する段階を「解読」というとしよう。

「邪馬台国論争」の焦点の1つに「三角縁神獣鏡」をどう理解するか、というテーマがある。
三角縁神獣鏡とは、銅鏡の縁部の断面が三角形状となった大型の神獣鏡で、古墳時代前期の古墳から多数出土している。
『魏志倭人伝』の中に、「卑弥呼が魏の皇帝から銅鏡100枚を貰った」という文章があり、「卑弥呼の鏡」と解すべきか否かが争われている。
鏡が国産ならば、「三角縁神獣鏡=卑弥呼の鏡」という仮説は崩れるだろうし、魏産ならば、「三角縁神獣鏡=卑弥呼の鏡」をサポートする有力な材料になる。

三角縁神獣鏡の中に、魏の年号が銘されたものがある。
魏の年号ならば、魏産の可能性が高くなる、というように考えられる。
中に、「景初四年」というものもあるが、魏の年号は、景初三年までしかない。
この「景初四年」をどう解読するか?
魏には存在しなかった年号なのだから、改元を知らなかった人が作ったのか、作り終えてから改元があったのか?
前者ならば、国産である可能性が高くなるし、後者ならば魏産の可能性も残る。

あるいは、埼玉県行田市の埼玉古墳群にある稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘をどう読むか?
ここでは115文字の漢字が刻まれているが、どう判読し、それをどう解読するのか?
歴史論争の多くは、史料の判読と解読の問題に帰結するといえる。

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