上代特殊仮名遣い
日本語の音韻については、奈良時代初期までは88音であったものが、平安朝初期には68音に減じてしまったことが知られている。
奈良時代には、漢字の音を借りて日本語を表記した。
例えば、「阿」という漢字の音「あ」を借りて、日本語を記述した。
その場合、「阿」という漢字の持つ意味、「おか」とか「くま(山や川が曲がって入りこんだ所)」とか「おもねる」というような要素は無視している。
同じ「あ」の音を表記するのに、「阿」だけでなく、「安」「吾」「我」なども用いられた。
「い」などその他の音にも、漢字が当てられ、例えば「君=きみ」を表記するのに、「岐美」「伎弥」「吉民」などと書かれた。
つまり、漢字を仮名と同じように使っているわけである。
『万葉集』などに数多く用いられていることから、万葉仮名と呼ばれている。
例えば、額田王の次の歌には、数多くのファンがいると思う。
0020 あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
この歌の表記は、以下のように漢字だけによって書かれている。
0020 茜草指武良前野逝標野行野守者不見哉君之袖布流
そして、例えば、「こ」という音を表記する場合、「古」とか「許」の漢字が使用されているのだが、「古」と「許」は、使い方が厳密に分けられている。
例えば「彦」という言葉を記す時には、「古」が用いられるが、「許」は決して用いられない。
江戸時代の本居宣長によって発見され、弟子の石塚龍磨によって奈良時代の文献が精査され、『仮字遣奥山路』として取りまとめられた。
石塚の調査結果をさらに精緻化したのが、東京大学の橋本進吉博士で、「い」「え」「お」段には、甲・乙二種類の書き分けがあるという結論を得た。
この奈良時代における書き分けを、「上代特殊仮名遣い」といい、書き分けを、橋本博士の命名に従い、甲類乙類と呼んで区分している。
私たちは、甲類・乙類というと、何やら焼酎の区分のように思うが、この使い分けの発見と整理は、古代史の研究において、非常に重要な位置を占めている。
例えば、邪馬台国論争で、九州説の有力候補地とされた筑後山門の「門」は甲類の「と」であり、近畿大和を示す「夜麻登」の「登」は乙類の「と」である。
「魏志倭人伝」の「邪馬台国」の「台」は、乙類の「と」に分類される文字であるから、筑後山門説は否定され、邪馬台国近畿大和説にとっては有利な根拠の一つになる。
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