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2008年2月25日 (月)

薬師寺論争…④東塔檫銘

薬師寺東塔の擦管(屋上に出た心柱を被覆する銅管)の基部に、次のような銘文が刻入されている(大橋一章『法隆寺・薬師寺・東大寺 論争の歩み 』グラフ社(0604))。

維清原宮馭宇
天皇即位八年庚辰之歳建子之月以
中宮不悆創此伽藍而鋪金未遂龍駕
騰仙大上天皇奉遵前緒遂成斯業
照先皇之弘誓光後帝之玄功道済郡
生業傳劫式於高躅敢勒貞金
其銘曰
巍巍蕩蕩薬師如来大発誓願廣
運慈哀猗<嶼の偏が犭>聖王仰延冥助爰
餝靈宇荘厳御亭亭寶刹
寂寂法城福崇億劫慶溢萬

この檫銘の中の、「天皇即位八年庚辰」は、『日本書紀』の天武九年と表記が異なるが、『日本書紀』では、天武の即位年を天武二年としているから、即位八年庚辰は、『日本書紀』の表記に換算すれば、天武九年庚辰である。
つまり、両史料共に、西暦680年の庚辰年の発願したということを示している。

問題は、「鋪金未遂龍駕騰仙」という句をどう理解するかである。
「鋪金」が未完了の状態で、天武天皇が亡くなられた、ということであるが、「鋪金」とは何か?
以下の3説がある。
①薬師寺本尊像の鍍金説
②薬師寺の寺地確定(占地)説
③薬師寺の造営説

①薬師寺本尊像の鍍金
長和4(1015)年の『薬師寺縁起』の冒頭部分に、次のようにある。

天武天王即位八年庚辰十一月、皇后不悆、巫医少験、因之為除病延命、発奉鋳丈六薬師仏像之願、爰
霊験有感、皇后病愈、天皇大感、已鋳金銅之像、補金未畢、以十四年戊丙秋九月九日、天皇崩於明香清御原

ここでいう補金は、鍍金のことであり、『薬師寺縁起』は、鋪金を鍍金として理解している。
薬師像の鋳造は天武天皇在世中のこととなり、その鍍金が果たされないうちに、天武は亡くなったことになる。

②薬師寺の寺地確定(占地)説
寛政6(1794)年に撰述された日下部(奈佐)勝皐の『薬師寺擦銘釈』は、鋪金=鍍金説を退け、祇園精舎の故事に基づいた「布金買地」の解釈を示した。
給孤独長者(ぎつこどくちょうじゃ:須達長者)が祇太太子の園地を購うにあたり、地面に金貨を布きつめたという「布金買地」の故事から、「鋪金」を「布金」と同義として、寺地を決定するの意味、「占地」として理解するものである。
言い換えれば、「鋪金未遂」は、天武天皇崩御の時点では薬師寺の寺地もまだ確定していなかった、ということになる。
会津八一、福山敏男、久野健などの諸氏がこの説である。

③薬師寺の造営説
「占地」説に対して、「布金買地」の故事を踏まえながら、、「鋪金未遂」は「造営未了」のことであると解する。
薬師寺の造営は既に行われていたが、未だ完了していないうちに、天武天皇が亡くなった、とする解釈である。
薮田嘉一郎、田中重久、高田十郎、町田甲一、今城甚造などの諸氏がこの説である。

「鋪金」に対する解釈によって、薬師寺の造営工事が、天武天皇在世中に行われたのか否か判断が変わってくる。
「鋪金」の判読に差異はないが、解読になると解釈が分かれる好例であろう(08年2月17日の項

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