薬師寺論争…⑧様式論(ⅱ)
そもそも「様式」とはどのように捉えられるものであろうか?
朝田氏は、「造型感覚」という言葉で、時代様式を規定している。
つまり、同じ時代様式に属するものは、いろいろな形式で作られたとしても、根底の造型感覚が共通していると考えるのである。
飛鳥白鳳期についてみれば、大陸からめまぐるしくさまざまな様式が流入してきた。
北魏様、斉周様、隋様、唐様等々である。
この大陸から流入してくる様式と、わが国の彫刻様式の間にどういう関係があるか?
朝田氏は、大陸からの様式流入が、わが国の様式展開に大きな刺激を与えたことは肯定するが、造型感覚を創造したとは考えない、としている。
様式流入が造型感覚を創造するとすると、その流入してきた様式も何処かから流入してきた様式によって創造された造型感覚ということになる。
その系譜を辿っていけば、最初の様式あるいは造型感覚は何処から学んだと考えるのか?
そして、朝田氏は、様式と形式とを区分すべきだとする。
美術史において時代を区切り、その時代に「○○様式」という名を冠して呼ぶならば、その様式には共通の造型感覚が溢出していなければならない。
つまり、多様式が併存する時代様式という概念は成立し得ないものであり、多様式が併存しているとすれば、それは時代様式を形成することができなかった時代、ということになる。
飛鳥白鳳期のように、大陸から多様な様式が短期間に流入した時代においては、多形式一様式という概念で考えるべきである。
飛鳥様式は、前期は北魏式、後期は斉隋式という二つの形式の流入によって成立しているが、静的造型感覚によって、一時代一様式を形成している。
それでは、白鳳という時代を画する様式はどのように考えられるのか?
朝田氏は、水野氏の説は、斉隋様の形式が行われていた時期を示しているに過ぎず、安藤氏の説も、斉隋様と隋唐様の行われた時期を示しているだけであるとし、久野氏の説も、斉・隋・唐式が重なり合って展開するとしているが、白鳳様式がどういう概念で規定すべきかを示していない、とする。
その上で、白鳳様式の始まりを野中寺弥勒像(666年)とする。
その理由は、この像が、飛鳥的な静的造型感覚を抜け出しているからである。
そして白鳳様式の完成を興福寺仏頭にみる。
つまり、朝田氏は、白鳳様式を。野中寺弥勒像に始まり、興福寺仏頭を頂点とするものとする。
白鳳様式とは、朝田氏の要約によれば以下のような特徴を備えた様式である。
飛鳥の静的把握に対して動的であり、写実的意図によって肉身を概念的・感覚的に把握するものである。
つまり、静的な総計感覚は脱したが、天平の写実的造型に達していず、肉身のモデリングは、写実というよりも観念による造型である。
白鳳様式の典型とされてきた薬師寺東院堂聖観音像は、肉身のモデリングは白鳳の特徴を備えているが、瓔珞を実物のように克明に刻出するところなどは、金堂薬師三尊像に近い。
朝田氏は、金堂薬師三尊像は天平像であり、東院堂聖観音像の白鳳像との違いは、眼の形であるとする。
白鳳様式の像は、下瞼を直線であらわし、上瞼を弧状に表現する。
これに対し、天平的な像は、下瞼を鋭く抑揚のある弧線で変化させて眼の型を表す。
東院堂聖観音像の眼は金堂薬師三尊像に近く、天平的なものを指向して作られたものと位置づけられる。
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