天武の即位年…砂川史学⑱
天武天皇の即位年については、どうだろうか?
『日本書紀』は、天武天皇の即位について、次のように記す。
(二年)
二月の丁巳の朔癸未に、天皇、有司に命せて壇場を設けて、飛鳥浄御原宮に即帝位す。
そして、その前年の壬申年を、元年として、巻二十八の大部分を、壬申の乱の記述に費やしている。
ここでも、なぜ、即位の前年を元年として記述しているのか、という疑問が湧く。
壬申の乱が勃発したのは、壬申年の六月二十二日で、大友皇子が縊死したのは七月二十三日である。
天武即位の記事は、翌・癸酉年の二月二十七日である。
大友皇子が死んでから、即位までに七ヶ月ある。
この間、天皇は空位であったのか?
『日本書紀』は、大友即位を記していない。
しかし、大友は天智の崩御の後、即位していたのではないか、とする説は多い。
実際に、明治政府は即位を認め、弘文天皇と追諡している。
大友が即位していることを認めると、壬申の乱は、天皇へ反逆した大逆罪に相当することになる。
それは、『日本書紀』の編纂方針にとって、具合が悪かったため、大友即位とは書かなかったと考えるのが妥当だと思われる。
天武の方も、戦勝してから七ヶ月後というのは、いささか間を置き過ぎているように思われる。
武力で権力を奪取した場合、争乱が収束したらすぐに即位するのが基本だろう。
天武紀の記述が、元年を壬申年としていることからしても、壬申年には即位していたと考えた方がだろうではないか?
『日本書紀』の天武元年条に、以下の記述がある。
(夏五月)
是の月に、朴井連雄君、天皇に奏して曰さく、「臣、私の事有るを以て、独り美濃に至る……」
……
是に、詔して曰はく、「朕、位を譲り世を遁るる所以は、独り病を治め身を全くして、……」
これらの文章は、天武元(壬申)年には、既に天武が天皇であったことを窺わせる。
森博達『日本書紀の謎を解く―述作者は誰か 』中公新書(9910)では、『日本書紀』の成立年代を、α群(持統時代)とβ群(文武時代)に分け、α群の述作者は中国人、β群の述作者h日本人としている。
天武紀は、β群に区分され、β群では即位後でないと天皇と表記されないことを考えれば、天武紀で天皇として扱われている上記の記述は、天武が既に即位していたことを示している。
とすれば、二月二十七日の天武即位記事は、壬申年の二月二十七日のことではないのか。
つまり、壬申年の二月二十七日から大友の縊死する七月二十三日までは、大友(弘文)天皇と天武天皇の二重政権(近江朝と吉野朝の南北朝)の時代だった可能性がある。
大海人皇子は壬申年の二月に即位していた。
『日本書紀』はこれに基づき、天武元年を壬申年として記述している。
しかし、即位日については、『日本書紀』は翌年の癸酉年としている。その理由は何か?
砂川氏は、それを怨霊思想によるものではないか、としている。
怨霊思想については、井沢元彦『逆説の日本史〈2〉古代怨霊編 』小学館文庫(9803)に詳しい。
井沢氏の説明を引用する。
一九九三年の皇太子御成婚パレードの時、パレードの直前になって雨があがった。昔の人なら、このことを天皇の「御稜威(ミイツ)」によるものだと言っただろう。御稜威とは、「霊力、御威光」のことだが、必要な時は雨を降らし、あるいは晴天を招くのも、「ミカドの霊力」なのである。
ところが、こういう「神国」でも、災害や飢饉は起こる。それはどうしてかと言えば、本来天皇の霊力で安泰なるべき国を、別の霊力で邪魔するヤツがいるからだ、と考える他はない。
それが怨霊である。
しあがって、日本の政治とは、つきつめると怨霊を鎮魂すること、になる。
唯物論的に考えれば、非科学的な思想だと言わざるを得ないだろうが、人間が他の動物と異なるの観念によって行動する、というところにある。
人間の存在の仕方をどう考えるかは人によりけりだろうが、現代ですら、例えば昭和41(1966)年の出生率が極端に低かったことに示されるように、丙午の迷信が、事実として社会的な影響力を持っているのである。
科学の未発達な古代において、怨霊の影響力を信じていたことは不思議ではない。
天武が大友の没年に即位したにもかかわらず、翌年に即位したように記述しているのは、大友の死穢を避けるとか、大友の霊の怨霊化を避けるというような、怨霊思想によるものと考えられる。
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