薬師寺論争…⑥発掘調査との関係
「鋪金未遂」を、造営未了と解する説では、薬師寺の造営過程は以下のようになる。
①天武天皇在世中に、寺地は決まっていた。
②造営工事もある程度進捗していたが、それが未完了のうちに天武天皇は崩じた
③造営未了の状態を、「布金買地」の故事になぞらえて、「鋪金未遂」と表現した。
しかし、「布金買地」の原義は「占地」のことであるから、「鋪金」を「布金」としながら、③のように「造営」と解釈するのは、状況証拠に基づく拡大解釈である。
この拡大解釈の妥当性は、①、②が他の史料により明確に主張できるか否かに依存する。
「鋪金未遂」を、占地未了と解する解釈は、原義に忠実な解釈といえる。
ところが、藤原京の発掘によって、天武天皇在世中に既に薬師寺の寺地が決定していたと考えるべきであることが明らかになった。
昭和51(1976)年に、藤原京右京八条三坊の本薬師寺の西南隅の発掘で、条坊の大路遺構より下層で、薬師寺式の軒丸瓦・平瓦を出土する溝が検出された。
この溝は、藤原京の条坊地割の施工の時点で既に埋められていたと解釈される。
つまり、条坊の大路が造営される前に薬師寺の造営が進んでいたことになる。
昭和52(1977)年には、藤原京大極殿北方の大溝から、「壬午」「癸未」「甲申」の紀年銘を記す木簡が出土した。
これらの干支は、それぞれ天武11、12、13年に相当するものであり、藤原京の造営が天武在世中に始まっていたことを示していると考えられる。
とすれば、薬師寺の造営着工も天武在世中のことであるから、占地未了という解釈は不都合になる。
ところが、さらに平成5(1993)年の中門跡の発掘調査で、新たに重大な所見が示された。
それは、中門基壇の下層で、藤原京西三坊坊間路を検出し、その延長部分が中門と金堂をつなぐ石敷きの参道の下層で確認されたのだった。
西三坊坊間路とは、西ニ坊大路と西三坊大路の中間部を南北に通る路で、その真上に中門と金堂を結ぶ参道が作られている。
ということは、本薬師寺の伽藍は、藤原京の造成後に造営されたことを示すことになる。
つまり、占地未了という解釈も可能性を残すということになる。
藤原京の造成が天武在世中に始まったとして、薬師寺の造営はいつから始まったのか?
出土した瓦からして、発掘担当者の花谷浩氏から、以下のような所見が示されている(大橋一章『法隆寺・薬師寺・東大寺 論争の歩み 』グラフ社(0604)。
本薬師寺金堂の軒瓦が藤原宮の古い様式の軒瓦と深い関連をもち、それは両者の造営が密接に関連しつつほぼ同時進行していたことの現れだろう。現状では、藤原宮の造営開始を天武末年ころ以前としか確定できないので、本薬師寺の建設は天武朝には着手され、天武薨去時には金堂の造営が少なくとも瓦の調達までは進んでいたことは、発掘成果によって推定して差し支えないだろう。
ところで、「鋪金」に関して、「鍍金」と解釈する説についてはどう考えられるか?
この説では、天武は本尊の鍍金を完成させないうちに亡くなったということであり、「鋳作」は完了していたと考えるのが自然だろう。
また、寺の造営と本尊の制作は並行して進められたと考えるのが自然であり、本尊も天武の薬師寺建立の発願から、さほど時間を置かないで制作に着手されたと考えられる。
また、藤原京の本薬師寺の瓦と平城京薬師寺の軒瓦を比較すると、文様の差異から、本薬師寺の方が一段階古いと考えられる(上掲書)。
藤原京薬師寺から平城京薬師寺への移転は、瓦の移動を伴うものと考えられるので、瓦の違いは移建論に不利に働く。
また、中門と回廊の構造と規模が、本薬師寺と平城京薬師寺で異なることも判明した。
とすると、本薬師寺の発掘調査は、本薬師寺の平城京への移転を否定するものと考えられる。
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