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2008年2月28日 (木)

薬師寺論争…⑦様式論

薬師寺金堂の薬師三尊について、これを白鳳様式と見る見方(移坐説)と、天平様式と見る見方(非移坐説)とがある(08年2月23日の項)。
「白鳳」という時代呼称は、美術史以外の分野では余り使われていない。
年号の一種であるのだろうが、何時の年号を指しているのか議論があるという不思議な存在である。
神奈川仏教文化研究所」のサイトに掲載されている朝田純一氏の『飛鳥白鳳彫刻の問題点』において、白鳳様式と呼ばれているものの実態について、さまざまな見解が整理されている。
それを参照しつつ、白鳳を中心とする様式論を眺めてみよう。

朝田氏によれば、「白鳳」という言葉は、元来弘文朝もしくは天武朝の年号のことだとされていたが、坂本太郎や喜田貞吉らが、孝徳朝の年号の白雉の別称であるという説を立てて、それが有力になっている。
これを美術史において、飛鳥時代の次にくる時代の名称としたのは、以下のような経緯による。
①明治の中頃、岡倉天心は、推古、天智、天平という時代区分を設定した。これは、伊東忠太、フェノロサ、高山樗牛らに承継された。
②明治の末年になると、関野貞が、推古、寧楽前期、寧楽後期という時代区分を行った。
③明治43(1910)年に、日英博覧会が開催されたときに、日本美術の国宝帖をつくることになり、中川忠順が、はじめて白鳳という言葉を使って、飛鳥、白鳳、奈良、貞観という時代呼称を用いた。この白鳳という時代呼称が、飛鳥に対して語感が良く、他に余り使われていなかったので、大正頃から盛んに使われるようになった。
④その後、飛鳥と奈良に分けて、白鳳は飛鳥後期と奈良前期に含ませてしまおうという傾向が強くなり、白鳳を認める論は劣勢になった。
⑤戦後になると、また白鳳時代を認めようとする動きが現れ、現在は、認める論と否定する論に分かれている。

一般に、白鳳時代は、大化改新(645年)から平城遷都(710年)の頃までとされている。
大化から平城遷都までの期間を示す場合と、飛鳥・天平の間の一つの独立した芸術様式を示す場合の二つの使われ方がある。
この期間は、政治的大事件に挟まれているが、政治上の変革は、必ずしも芸術様式の変革の起因にはならない。すなわち、政治的事件をもって美術様式の区分とすべきではない。
つまり、白鳳という呼称は、美術様式を論ずる時にのみ用いるべきであって、政治的時代区分の呼称として用いるべきではない。
白鳳という呼称は、飛鳥と天平の間に、独立した美術様式を認める場合にのみ用いるべきなのである。

と考えた場合、白鳳と呼ばれるべき美術様式は、本当に存在したのか?
これについては、白鳳様式が存在したと考える論と、白鳳様式が存在しなかったとする論とに分かれている。

①白鳳様式が存在したとする論
(ⅰ)水野清一『飛鳥白鳳仏の系譜』
白鳳時代を大化改新から文武期末(707年)とし、大陸の斉隋様式に応ずる時代。

(ⅱ)久野健『古代彫刻論』『法隆寺の彫刻』
白鳳時代を大化改新から平城遷都までとし、斉周様、隋様、唐様が重なり合って展開する時代。

(ⅲ)野間清六『飛鳥白鳳天平の美術』
白鳳時代を大化改新から700年前後までとみて、その主体を、百済観音像、夢殿観音像、中宮時弥勒菩薩などにおく。

(ⅳ)町田甲一『上代彫刻史における様式区分の問題』
白鳳時代を天智朝ころ(663年)から和銅前後(708年)までとみて、その典型を興福寺仏頭に求める。

②白鳳様式は存在しなかったとする論
(ⅰ)金森遵『白鳳彫刻試論』『白鳳彫刻私考』『白鳳彫刻の可能性』
「白鳳」彫刻とされている多くの彫刻は、その大部分が根拠のないもので、「白鳳」という美称によって、先入的に作られた様式である。
白鳳の前半期は、造像が少なく、かつ飛鳥彫刻の延長に過ぎない。
白鳳彫刻とされる主な作例は後半期の作品であり、隋様式の上に唐様式が加味され、奈良彫刻へ展開していく時期である。その最初の基準作例は興福寺仏頭(685年)であるが、それらは奈良彫刻の先行形に過ぎず、様式的に独立したものと考える必要性はない。

(ⅱ)安藤更生『白鳳時代は存在しない』
一般に白鳳時代の作例は、斉隋様式のものと隋末唐初の様式のものに分けられ、これらを同一時代の同一様式と一括することは不合理かつ不可能なことである。
興福寺仏頭の作り始められた678年は、斉隋様と隋唐様の重大な分かれ目を示している。

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