薬師寺論争…②金堂薬師三尊
薬師寺の金堂は、1528(享禄1)年に戦火によって消失した。
その後、仮金堂のままであったが、写経勧進による再建が図られ、1971(昭和46)年4月3日に起工し、1976(昭和51)年に落慶式が行われた。
白鳳時代の建築様式の研究を踏まえて設計され、西岡常一氏を棟梁として建設された。
つまり白鳳伽藍再興の第一歩である。
本尊は薬師如来で、病に苦しむ者を救う仏であるとされる。
両脇侍は、日光菩薩と月光菩薩である。
薬師如来は座像で、立った姿が丈六(1丈6尺≒4.85m)である。
豊満な体躯に薄い衣をまとっており、端正な面相、頭部と胴体の比率が整った造型で、唐代最盛期の様式を継承したものとされる。
和辻哲郎は、『古寺巡礼』岩波文庫(7903)(元版は、1919(大正8)年出版)において、薬師如来像について、次のように書いている。
この本尊の雄大で豊麗な、柔らかさと強さとの抱擁し合った、円満そのもののような美しい姿は、自分の目で見て感ずるほかに、何とも言いあらわしようのないものである。胸の前に開いた右手の指の、とろっとした柔らかな光だけでも、われわれの心を動かすに十分であるが、あの豊麗な体躯は、蒼空のごとく清らかに深い胸といい、力強い肩から胸と腕を伝って下腹部へ流れる微妙に柔らかな衣といい、この上体を静寂な調和のうちに安置する大らかな結跏の形といい、すべての面と線とから滾々としてつきない美の泉を湧き出させているように思われる。
(中略)
この作に現れた偉大性と柔婉性との内には、唐の石仏やインドの銅像に見られないなにか微妙な特質が存しているように思われるが、それをはっきりと捉える方法はないものであろうか。この問題の解決は、日本という国が明確に成立した時代--すなわち美術史上にいわゆる白鳳時代--を理解する鍵となるであろう。
この金堂三尊の様式は、白鳳様式なのか、あるいは天平様式なのか?
以下、松山鉄夫『薬師寺金堂薬師三尊像の制作年代について』(『薬師寺/名宝日本の美術6』小学館(8303)所収)によって、論争を概観してみよう。
金堂薬師三尊像の制作年代をめぐる論争は、明治時代の関野貞、喜田貞吉の論争以来のものであるが、いまだ最終的な決着をみたとはいえない。これを白鳳時代の制作とみる立場と、天平時代初期の造立とする立場があるが、具体的な造立年次については、次の4説を挙げることができる。
①持統2(688)年説
②持統11(697)年説
③大宝年中(701~702年)説
④養老・神亀年中(718~726年)説
①~③は、現本尊を、藤原京の本薬師寺から「移坐」したとするものであり、白鳳時代の作品と見る。
④は、平城京の薬師寺で新鋳したものとするものであり、天平様式として理解する。
白鳳説を「移坐」説とすれば、天平説は「非移坐」説ということになる。
年代的には、高々20~30年程度の差異である。
しかし、白鳳と天平の様式をどう理解するかという問題であるから、この論争の意味は大きい。
薬師寺論争は、わが国の美術史上でも重要な位置を占めるものである。
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