大来皇女
『日本書紀』の斉明紀に、以下のような記述がある。(08年1月17日の項参照)
斉明6(660)年に、百済が唐・新羅連合軍に攻撃されて滅亡し、復興支援の要請を受けて、斉明7(661)年正月6日に、斉明天皇が難波を出発した。このとき、大田皇女が同船し、2日後に大伯皇女を出産した。
大伯皇女は、大津皇子の姉であり、持統紀では大来皇女と表記されている。
『万葉集』に以下の歌が採録されている。(佐々木信綱編『新訂 新訓・万葉集〈上〉』岩波文庫(2709)
大津皇子薨りましし後、大来皇女、伊勢の斎宮より京に上りましし時、作りませる御歌二首
163 神風の伊勢の國にもあらましをいかにか来にけむ君もあらなくに
164 見まく欲りわがする君もあらなくにいかにか来けむ馬疲るるに
大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬りし時、大来皇女哀傷みて作りませる御歌二首
165 うつそみの人なる吾や明日よりは二上山を兄弟とわが見む
166 磯の上に生ふるあしびを手折らめど見すべき君がありといはなくに
右の一首は、今案ふるに、葬を移す歌に似ず。けだし疑はくは、伊勢神宮より京に還りし時、路の上に花を見て、感傷み哀咽しみてこの歌を作りませるか。
165、166番の歌にあるように、大津皇子は、二上山に移し葬られた。
二上山は、「当麻寺…①二上山」の項に書いたように、飛鳥から見ると、この山に夕陽が沈む。
二上山は、生と死を分ける霊山であり、山のこちら側は此岸で、向こう側は彼岸である。
謀反という大罪を着た大津が、このような神聖な山に葬られたことについて、どう考えるか?
罪人だから、一番目立つこの山に葬られた、という考えもあるが、いささか無理がある。
そこで、大津の墓は山頂ではなく、山麓の鳥谷口古墳である、という説が有力になっている。
しかし、関裕二氏は、「大津の墓は二上山の山頂にあって一向にさしつかえない」とする。
大津は、捕らえられてから処刑されるまでの時間からして、最初の墓は簡略なものだったであろう。
だからこそ、姉の大来皇女は、二上山の山頂へ移して、手厚く葬った。
かくして、『万葉集』は、『日本書紀』が隠そうとした一面を表に出す。
大来皇女は、自分の意思で伊勢から都に戻り、かつ朝廷(鸕野皇女=持統)の意向を無視して、大津を二上山の山頂に移葬してしまう。
大津が罪人であるならば、大来と鸕野の態度は理解不能である。
このことは、大津を殺したことの非が、鸕野の側にあったからではないか。
そして、大津を排除したにもかかわらず、鸕野は、朝廷内の支持を全面的に獲得していたわけではなかった、ということになる。
大津が二上山に移葬されたことを知り、鸕野は、自分の立場が危ういものであることを再認識するしかなかった。
壬申の乱において、天武に与した功臣が多数いる朝廷で、鸕野は壬申の乱の敵・天智の娘だった。
大津は、天武の有力な後継候補だった。大津を殺した鸕野は、孤立を余儀なくされたのではないか。
鸕野は、大津を処刑したことにより、自らピンチに陥った。
『日本書紀』では、鸕野は天武の殯を2年2ヵ月も続けたとしている。
草壁が亡くなって後即位し(持統)、天武の遺志を継いで、律令体制を整備し(飛鳥浄御原令)、藤原京遷都を行った。
つまり、持統は、天武の政策の忠実な継承者だった、ということになる。
しかし、関氏は、吉野裕子『持統天皇』人文書院(8712)から恐るべき推論を引用する。
先ず第一に、天武死後の3年間の空白は尋常ではない。
そして、皇位継承者として殆んど同じ資格を持つ2人の皇子が、相前後して急逝した。これも不自然な出来事である。
2人の皇子の死には共通するものがある。すなわち、2つの死は、同一人における同一目的の殺人である。
つまり、鸕野(持統)の権力への執念が、大津皇子だけでなく、愛する我が子まで殺めてしまったのではないか。
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