謹賀新年
2008年、明けましておめでとうございます。
皆さんは、どのような新年を迎えられたでしょうか。
私は、幸いにしてとりあえず健康な状態で(メタボリックな事情は別として)、新年を迎えることができました。
それも、多くの方々のお陰だと、心から日頃のご厚情に感謝いたします。
今朝は昨日の強風もおさまり、素晴らしい初日の出を拝むことができました。
2007年は、「今年の漢字」が「偽」だったことに示されるように、余り良い年ではなかったと思いますが、今年は少しでもマシな年となることを願っています。
そのために、自分が出来ることは何か、微力ではありますが努力を継続したいと思います。
ところで、2007年は、藤原宮関連のニュースがいくつかありました。
藤原宮大極殿正門跡の発掘(07年9月8日の項)、藤原宮建造の際の地鎮具と思われる遺品の発見(07年12月1日の項)などです。
そして昨日、つまり大晦日の新聞は、藤原宮南門前から、大規模な柱穴列が見つかったことを報じました。
南門は、天皇が執務する中枢施設の大極殿のすぐ南、藤原宮の中心に位置し、宮内に設けられた門の中で最も重要な施設だとされます。
柱穴列は、南門の約3m南側で発見されました。穴は一辺が0.8~1.0mあり、43mの長さにわたって、15の柱穴が2~3mごとに南門と平行に並んでいました。
『続日本紀』の大宝元(701)年正月一日の条は、「文物の儀、是に備れり」という文章で有名です。宇治谷孟現代語訳『続日本紀〈上〉』講談社学術文庫(9206)から引用します。
春正月一日、天皇は大極殿に出御して官人の朝賀を受けられた。その儀式の様子は、大極殿の正門に烏形の幢(先端に烏の像の飾りをつけた旗)を立て、左には日像(日の形を象どる)・青竜(東を守る竜をえがく)・朱雀(南を守る朱雀をえがく)を飾った幡、右側に月像・玄武(北を守る鬼神の獣頭をえがく)・白虎(西を守る虎をえがく)の幡を立て、蕃夷(ここでは新羅・南嶋など)の国の使者が左右に分れて並んだ。こうして文物の儀礼がここに整備された。
この文章は、高松塚古墳に描かれていた壁画の解説文のようでもあります。
高松塚古墳の壁画は、WIKIPEDIA(12月30日最終更新)では、以下のように説明されています。
壁画は石室の東壁・西壁・北壁(奥壁)・天井の4面に存在し、切石の上に厚さ数ミリの漆喰を塗った上に描かれている。壁画の題材は人物像、日月、四方四神および星辰(星座)である。東壁には手前から男子群像、四神のうちの青龍とその上の日(太陽)、女子群像が描かれ、西壁にはこれと対称的に、手前から男子群像、四神のうちの白虎とその上の月、女子群像が描かれている。男子・女子の群像はいずれも4人一組で、計16人の人物が描かれている。中でも西壁の女子群像は(壁画発見当初は)色彩鮮やかで、歴史の教科書をはじめさまざまな場所でカラー写真が紹介され、「飛鳥美人」のニックネームで親しまれている。人物群像の持ち物が『貞観(じょうがん)儀式』にみられる元日朝賀の儀式に列する舎人(とねり)ら官人の持ち物と一致する。この元日朝賀の儀式には日月・四神の幡も立てられる。
奥の北壁には四神のうちの玄武が描かれ、天井には星辰が描かれている。南壁には四神のうち南方に位置する朱雀が描かれていた可能性が高いが、鎌倉時代の盗掘時に失われたものと思われる。
大宝元年正月の元日の朝賀を受けた天皇は、文武天皇です。
そして、文武天皇は、『竹取物語』における帝のモデルだとされています(07年9月21日の項)。
高松塚被葬者については、未だに多くの論議があるようですが、文武朝の高官だった石上麻呂ではないかというのが有力な説の1つです(07年9月23日の項)。
『続日本紀』の大宝元年正月の記述と、高松塚古墳の壁画と、『竹取物語』の登場人物と。
何やら三題話めいてしまいましたが、興味深い世界だと思います。
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