白鳳芸術としての藤原京
「白鳳」という文化史における時代区分がある。
645(大化元年)の大化改新(乙巳の変)から710(和銅3)年の平城京遷都までの間とされる。
法隆寺の建築・仏像に代表される飛鳥文化と東大寺の仏像や唐招提寺の建築などに代表される天平文化の間に位置している。
なかでも、天武朝と持統朝は、天皇の権威の確立、律令の制定、都城の造営、「日本」の国号と天皇号の制定、『古事記』『日本書紀』編纂の開始、万葉歌人の輩出、仏教美術の興隆など、中国初唐の影響下に、力強い清新な文化が創造された(寺沢龍『飛鳥古京・藤原京・平城京の謎』草思社(0305))。
藤原京は、豊穣な白鳳時代の傑出した作品である、という見方がある(寺沢:上掲書)。
規模の大きさ、均整と規律性の高い都市構成の造型感覚が、質的完成度の高い芸術作品だということである。
確かに、左右相称で、道路を座標軸にした秩序だった街区構成である。
そして、この藤原京の構成的造型が、白鳳芸術全般に影響を与えたのではないか、とされる。
薬師寺の塔や仏像などにおける理知的で様式的な形式美である。
そして、『万葉集』の「藤原宮の御井の歌(巻1-52)」という長歌の構成もその1つだとされる。
安見しし 吾わご大君 高照らす 日の皇子 荒妙の 藤井が原に 大御門
始め給ひて 埴安の 堤の上に 在り立たし 見し給へば 大和の 青香具山は
日の経の 大御門に 春山と 繁さび立てり 畝火の この瑞山は 日の緯の
大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に
宜しなへ 神さび立てり 名細し 吉野の山は 影面の 大御門ゆ 雲居にぞ
遠くありける 高知るや 天のみかげ 天知るや 日のみかげの 水こそは
常にあらめ 御井の清水
これを次のように分かち書きしてみる。
確かに、構成的な様式美を備えている、といえよう。
この分かち書きを提示したのは、建築史家の滝沢真弓というひとだという。
藤原京の構成美の反映と捉えるのも、建築史家ならではの視点だと思う。
それが白鳳という時代の特徴であり、時代精神だった。
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