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2008年1月27日 (日)

天智暗殺説

井沢元彦氏は、天智暗殺説を小説化している。『隠された帝―天智天皇暗殺事件』祥伝社(9702)である。
『日本書紀』(宇治谷孟現代語訳)では、天智崩御の様子は、以下のように記されている。

九月、天皇が病気になられた。
  ……
(十月)十七日、天皇は病が重くなり、東宮(大海人皇子)を呼ばれ、寝所に召されて詔し、「私の病は重いので後事をお前に任せたい」云々といわれた。
  ……
十二月三日、天皇は近江宮で崩御された。十一日、新宮で殯した。この時つぎのような童謡があった。
  み吉野の鮎こそは、島の辺りにいるのもよかろうが……
  ……
この年、讃岐国の山田郡の人の家に、四本足のひよこが生まれた。また宮中の大炊寮に、八つの鼎(釜)があり、それがひとりでに鳴った。ある時は一つ鳴り、ある時は二つ、ある時は三つ一緒に鳴った。またある時は八つ共一緒に鳴った。

つまり、天智は病になって、そのまま近江宮で崩御した、ということになっている。
『隠された帝』の時制設定は現代であり、登場人物が歴史上の出来事を推理する一種のベッド・ディテクティブである。
出発点は『扶桑略記』に書かれている記事である。同書は、寛治8年(1094)年以降の堀河天皇代に比叡山功徳院の僧皇円(法然の師)が編纂したとされる(異説もある)。

1同書では、十二月三日に天皇崩の後に、五日に大友皇子が帝位に就いたとし、一云(こういう説もある)という形で、「馬を御して山階郷に幸し、更に還御なし、永く山林に交りてその崩ずるところを知らず」とある。
『扶桑略記』の信憑性について、アカデミズムの史家は、否定的である。
しかし、井沢氏の基本的な視点は、正史だから書けないこともあり、後世で関係者が居なくなった時点で初めて書けることもある、というところにある。
つまり、『日本書紀』と『扶桑略記』の記述内容に矛盾や齟齬がある場合、必ずしも『日本書紀』が正しいとは言えないということになる。

井沢氏は、『日本書紀』の天智・天武兄弟説も疑わしい、とする。
もっとも、これは井沢オリジナルということではなくて、兄弟説否定論者の小林惠子氏の説を紹介するという形で説明されている。
小林氏は、皇統を天智系と天武系に区分けする。
皇位は、天智から大友(弘文)へ継承されたが、「壬申の乱」によって、天武に移った。
天武の死後、皇后の持統が引き継ぐ。
持統は、孫の軽皇子が成人するのを待って譲位し、文武天皇が誕生する。
しかし、文武は25歳の若さで亡くなり、首皇子がまだ7歳だったため、文武の母(首皇子の祖母)が即位し、その後を首皇子の母が継いで(元正天皇)、首皇子が成人するまでの間、皇位を維持する。
元正の後、首皇子は即位して、聖武天皇となる。

聖武に男子が居なかったため、阿倍内親王が即位して孝謙天皇になる。
孝謙は未婚だったため、舎人親王の子の大炊王に譲位し淳仁天皇が誕生する。
孝謙天皇は上皇となるが、淳仁と折り合いが悪くなり、淳仁を廃帝として、重祚して称徳天皇となる。
称徳の後、白壁王が即位して光仁天皇となる。
光仁即位に際しては、陰謀めいたことがあったらしいが、それはともかく、皇位が天智系へ復帰したことになる。
光仁の次が、平安遷都の桓武天皇である。

2小林氏は、天皇家の菩提寺だった京都の泉湧寺では、天智天皇以後の天皇を祭っているが、天武系は除外されていることを指摘している。
これについて、泉湧寺のパンフレットには、「平安京の第一代桓武天皇、その御父光仁天皇、その直系の御祖天智天皇、この三天皇が霊明殿に奉祀の特に古い御方で、歴代天皇が奉祀されている。
一読すると当たり前のような記述であるが、図示してみれば、天智のあと天武から称徳までが飛ばされていて、天智だけが異例の位置づけということになる。
ここでも、天智と天武は別姓であるかのような扱いである、

天智天皇は、百人一首の第一番目の歌人として馴染みが深いが、「秋の田の刈穂の庵の苫をあらみ わが衣手は露に濡れつつ」の歌意に疑問が呈されていた。
天皇が、なぜ、そんな粗末な小屋にいたのか?
しかし、もし、天智が山科の野で変死したのであれば、不思議ではない、ということになる。
この歌は、『万葉集』にも載っていないし、そもそも天智の作かどうかも疑わしい。
天智には他にもいい歌があるにもかかわらず、藤原定家がこの歌を天智作として採録したことは、『扶桑略記』に書かれているような事情を認識していたからではないか、と井沢氏は登場人物に推理させている。
天智と天武の関係については謎が多いが、この時期は、中国の史書から「倭国」が消えて「日本国」が登場する時代でもある。
あるいは、天皇号が始まる時期でもあることを考えれば、その実相に迫ることは、日本のアイデンティティを考えるうえでも重要なテーマと言えるだろう。

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